■パンドラ


血が足りない。
赤く染まる視界の中で、獄寺はやけに冷静だった。

「やべー…俺、死ぬのかな…」

まだ、死ねないというのに。
せめてこの手にあるものを渡してから、瞳を閉じたいと願った。
物影に潜んで得意のダイナマイトを数本放り投げる。
激しい爆破音と共に世界は煙に包まれた。











「あー…残金194円…」

有名ブランドのショーケースと自分の財布をにらめっこした獄寺は大きくため息をついた。
流石、財布に金が入っていないマフィアランキング2位なだけある。

「ち…仕方ねえ…」

離れるのすら惜しむように、獄寺はショーケースの中のそれを碧に焼きつけた後、何度も通った道へと足を向けた。
彼が敬愛してやまない10代目、沢田の住む家へ。

「リボーンさんっ、おられますか!?」

生憎彼の主は留守だったが、その方が好都合だとばかりに二階に上がる。
優雅にエスプレッソを飲む赤子の姿は闇を知っている瞳を向ける。
息を荒らげて入ってきた獄寺に動じることもなく、リボーンはいつもの表情を崩さずに問う。

「どうした、獄寺」

ツナならいねーぞ、と彼がこの家を訪れる一番の理由を述べてみるが、ふるふると首を振られる。
碧の瞳をまっすぐにリボーンへ向けて、獄寺は決心したように言葉を紡ぐ。

「俺に、仕事を下さい。前金で10万以上貰えるやつを…」

その言葉に流石のリボーンも表情を変える。
エスプレッソをテーブルに置くと、椅子から立ち上がり獄寺の側へと近寄る。

「なんだ、どーしたんだ獄寺」
「どんなに危険でもかまいません。とにかく今、金が必要なんです」

あまりに真剣なその碧に、リボーンはそれ以上は何も言わないでポケットの中から一枚の紙を獄寺に渡す。
暗号化した文字で時刻と場所しか書いていないそれは、殺しの依頼。
この世界に幼い時からいて、何度もみてきた文字。

「今晩、そこをつぶせ。金はすぐに振り込んどいてやる」
「リボーンさん…ありがとうございますっ」

勢いよく頭を下げた獄寺に、リボーンは小さくため息を吐く。
嵐のように外に飛び出していった彼の後姿をカレンダーと見比べて、なるほど、と呟いた。

「ああ…そういえば明日だったか」

ニヒルな笑みの中に隠された真実など、誰も知らない。











23時45分。
硝煙に霞んだ向こう側に、標的の姿を認識する。
腹から流れる熱い赤を必死で隠して、ダイナマイトを取り出す。
外が寒いせいで、息を荒らげれば白く染まる。
こちらの居場所を悟られる前に、とダイナマイトに火をつけた刹那、彼らの姿は一瞬にして消えた。

「な…どこに…!?」

慌てた獄寺は痛む腹を抑えて立ち上がる。
先ほどまで立っていた標的は、今は地面に顔を付けていた。

「え…どうして…」

とどめの攻撃などしていないというのに。
いきなりの終止符に驚きを隠せない獄寺の背中に、静かな殺気が向けられる。

「おい、ハヤト。お前なにしてんだ…」

それはこの世で唯一の存在。
獄寺が血を流した理由の人物。

「シャマル…なんで…」
「リボーンから連絡があってな…」

呆れたような溜息を吐いたシャマルのもとに、小さな悪魔が戻ってくる。
ああ、彼らが倒れたのはモスキートによるものだったのか。
獄寺は見慣れた彼の武器がどれだけの脅威かを知っていたため安心したのか、腹を抑えてその場にへたりこむ。

「つーかシャマル、お前どうしてここに」
「どうしてじゃねーだろっ!」

痛いほどの怒声に獄寺は反射的に目を瞑る。
蜂蜜色の瞳に明かな怒りが宿るのを見てしまったから。
先ほど標的と対峙していた時よりもの恐怖が獄寺を襲う。

「俺が少しでも遅けりゃお前は死んでたんだぞ!わかってんのか!?」

確かに、どうしても今日中に金が必要で自分の力では困難な仕事を受けた。
無傷で帰って来れるとは鼻から思っていなかった。

「俺、お前には教えたよな?死ぬ事は綺麗な事でもなんでもねーって…」
「別に、死のうとしてたんじゃねーよ…」

むしろ、死ぬ気はなかった。
ただただ、まっすぐだった。
ある唯一だけのためにまっすぐだっただけだ。
そんな獄寺の言葉などシャマルの耳には届かない。
シャマルは尚も声を荒らげる。

「じゃあなんだってんだ!そんなに血ぃ流して、死にそうな顔してっ!」
「お前は何のために戦ったんだ!」

リボーンからの連絡で、この任務がボンゴレに関係しているものではないのは知っていた。
獄寺は良くも悪くも沢田への敬愛で動く。
そのために命すら投げ出そうとする。
しかし、今回の任務がボンゴレに関係していないとなると、いったいなんのためにここまで彼が傷ついたのか。
わからないというだけでシャマルの胸には暗雲が立ち込める。
それだけで、怒りは助長される。

「…シャマル。これ」

血にまみれたシャツからこれまた血にまみれたくしゃくしゃな小箱を突き出された。
簡易な包装ではあったけれども、それはシャマルも良く知る有名ブランドのもの。
眉間に浮かべた皺はそのままに、無言で受け取って箱を開ける。

「…どうしても、それを渡したかったんだ」
「ハヤト…」

誰よりも先に。
何よりも明かに。
彼が居るという事実を祝いたくて。

「Buon compleanno Shamal…」

その言葉を聞いた刹那にシャマルの目から溢れた雫は、獄寺の肩に沁みこむ。
それと同時に、夜が日付変更線を跨ぐ音が聞こえた。
強く抱きしめられたその腕が心地よい。
死ぬならばこの腕の中でと願ったことは10代目にも内緒だと、獄寺は静かに微笑んだ。


2009/02/09


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