モニター越しから一転、入江は初めて「彼」をその瞳に映した。
あのモニターはなんて画質が悪かったのだろうと刹那に思うほど「彼」を彩る色は鮮やかな銀で無意識のうちに手を伸ばしかけて、留まった。

(道理で綱吉くんや雲雀くんが必死になる訳だ)

ボンゴレのボスとそれに繋がった財団の長、そして入江の間で一度だけ設けた場所。
それは、白蘭を制する為の危険なタイムテーブル。
秘密裏に進められた作戦の中で交わされた約束のひとつにあった彼の名前。

『獄寺くんを最初に眠らせてあげてね』

困ったように笑ったボンゴレボスは、今までの約束と毛色の違った約束を突然投げた。
歴代のボンゴレの中でも目立って有能だと言われた己の右腕を一番に転送させて欲しいという願い。
彼の存在は今では恐怖の化身として他ファミリーに認識されている。
作られた戦略は寸分の狂いもない精密さを誇り、一度前線へ赴けば守りに徹する事しか出来なくなるような嵐を纏う。
その癖その心はボンゴレ一筋で揺るぎが無い。
彼さえ置いておけば沢田の意志はそれこそ沢田が存命している時と同じように下の者へ伝わるだろうと予想していたからこそ、入江は首をかしげた。
それくらい、獄寺隼人という人間はまさにボンゴレ十代目のために生まれてきたような存在だった。
疑問を投げる入江に、あの雲雀ですら顔をしかめる。

『他の計画が多少狂おうが僕がどうにかするから、君は獄寺隼人を優先させて眠らせてよ』

まるでそれがこの会談の全てだというような意志の強さ。
疑問はいくらでも出てくる。
しかし、入江はボンゴレの内部事情を把握している訳ではない。
自分以上に彼をよく知るふたりが彼を優先にと言っているのだ。
これ以上追及しても仕方が無い。

『わかったよ。僕はそこに全力を尽くそう』

沢田と雲雀の願い通り、なによりも優先的に獄寺を眠らせる為、過去の自分へひとつ指示を送る。

【銀の髪を持つ並盛中学生を、沢田綱吉の家へ向かわせる事】







沢田の約束が、雲雀の心が、正しかったと知ったのは沢田が銃弾に倒れた後。

ミルフィオーレ側から見ていた入江は全てを見ていた。
主を失ったボンゴレは一度、その大きな組織が崩れそうになる。
しかしものの数時間で幹部が、部下が、強い意志を持って立ち上がる。
守護者と言われた6人は方々に散り散りになっていて何処に居るかを特定出来ない。
トップを崩されて隙を見せなかったボンゴレに、入江はその後ろで動いた人間を探る。
暗殺部隊への緊急指令を晴れに持たせ。
他国である任務をこなしていた雨を日本へ呼び。
ボンゴレと関係のある女性を雷に守らせて。
雲の動向を把握して。
霧の娘を安全な場所へと移動させた。
的確な指示、俊敏な動き。
その全てをこなしたのは、紛れもないあの嵐。

(これほどまでに有能だというのに)

壊滅状態に陥っているというのに強い意志を持つボンゴレという組織は今は嵐の手によって動かされているようだ。
ますます入江は沢田達が彼を一番に戦線離脱させようとする意志がわからない。
雲雀のように恐怖で人を制する事も間違っている訳ではないが彼の指導は恐らく目的を言わないで始まるだろう。
それならば彼の理論指導を始めに叩き込んで、幼い沢田達に未来の世界を知らせればいいというのに。

そう考える入江の前に現れた小さな沢田。
まだその瞳に覚悟を灯していない彼は幼くて弱い。
しかし、あの沢田だ。
可能性を秘めた、最後の切り札。
白蘭を倒す為の唯一の作戦。


その小さな彼と数分だけ邂逅した嵐は縋るように謝罪を繰り返したという。


その後飛んできた過去の彼。
思わず目を背けたくなるほどに真っ直ぐで盲目的で、弱い。
彼と「彼」が同一人物だと思え無い程に幼い。


ただ、その瞳の強さだけが同じだった。








カプセルの中、瞳を閉じた彼―獄寺はぼろぼろだった。
彼を彩る色に思わず手を伸ばしそうになった入江は今までの戦いを思い出して思慮する。

(彼にとって、世界の全てが綱吉くんなんだ)
(それは愛とか恋とか、そんな陳腐なものではなくて)
(もっと大きな、宇宙の真理に近い膨大な感情で)

だから沢田も雲雀も必死になった。
ひとつだけ、個人的感情を踏まえた約束を入江に託した。


『一番に獄寺くんを眠らせてあげてね』


獄寺にとっての世界が沢田ならば、その体が沢田の為にあるのならば
「沢田」を無くした彼にとって世界はどのように映っていたのか。
その虚無感と敗北感と嫌悪感の真ん中で、必死に立つ嵐に入江は自分がゆっくりと惹かれていた事にようやく気付く。
気付いた瞬間、後ろにそびえ立つ白い装置の中で眠るこの時代の沢田にあの後に続く言葉を投げられたような気がした。



『一番に獄寺くんを眠らせてあげて』
『彼がこれ以上、俺が居ない世界で苦しまないで済むように』



それが無償に悔しくて、悔しくて。


悲痛に歪む顔でも
現実に苦しむ顔でも
なんでもいい。

「早く起きないかな…」

その瞳に自分が映る事が楽しみで仕方が無くて。
先程触れられなかった銀に手を伸ばした。



スリーピング・ビューティー(11月・入江正一)


design by croix