■メルト
数時間前まで真っ青だった空が泣く。
天気予報では雨の「あ」の字も言っていなかった癖に、と獄寺は今朝のお天気おねえさんに悪態を吐く。
げた箱の前にぺちゃんこのスクール鞄を乱暴に投げ捨てると、そのまま腰を降ろす。
なにかあった時のためにと、いつもその中に入っている折りたたみ傘は、獄寺の一番望む形で使われた。
尊敬する10代目は最後まで遠慮をしていたけれども、想いを寄せる笹川と一緒に狭い世界を堪能して帰って行った。
あの後ろ姿をみるのは幸せだ、と獄寺は口元に弧を描いた。
残り少ない愛用の煙草に火をつけて、肺まで吸い込まないで紫煙を吐く。
煙はゆっくりと雨と混じり合って消えていく。
「あー…やまねーなァ…」
いつもちょっかいかけてくる山本は今日に限って見当たらない。
急の雨だった為、いつも何本か忘れられているビニール傘も他の生徒が持って帰ってしまったようだ。
雨はやむ気配を見せず、ただ降り注ぐ。
「こりゃ明日まで降るな」
いきなり後ろからした声に獄寺は振り返る。
気配も感じさせない、物音もさせない、殺し屋のそれ。
それでもそこについてまわる殺気だけがなかった。
「シャマル…」
碧の先には幼い頃、憧れた師の姿。
日本で再会した時に、なにひとつ変わっていない彼に嬉しくなったのは鮮明に覚えている。
そして、それと同時に変わってしまった自分を汚らわしく思ったのも。
「おめーはなにしてんだよ、ボンゴレ坊主は?」
「…笹川妹と帰った」
「おー、ちゃんと青春してんなー」
女が好きで、男に冷たい彼の全てを見透かしてしまうような瞳から避けるように獄寺は前を向く。
雨はやまない。
獄寺は短くなった煙草を消して、新しいものに火を点ける。
「校内禁煙だぞ、つーかお前は未成年」
「うるせー、誰が教えたんだよ」
獄寺が纏う全て―この銀の髪も、この煙草も、武器も、すべてシャマルを映した。
幼い時、城で過ごした数年間、その中でシャマルが居た2年の間、獄寺はシャマルを追い続けた。
朝目が覚めて一番に思い出していた。
それだけ、深い感情の名前を何故いまさらになって知ったのか。
それを受け入れるだけの器はまだないというのに。
憧れとも敬愛とも言えないその感情、これを恋といっていいのならば、確かに獄寺はシャマルに恋をしていた。否、しているのだ。
「ったく、しょーがねーなァ…」
大袈裟に吐かれた溜息に獄寺は眉間の皺を深くする。
「ほら、送ってやるから車まで走れ」
獄寺の口から煙草が落ちた。
同時に、胸の奥で何かが落ちる音がした。
女しか乗せないであろう助手席に座る。
左ハンドルのその車は、シャマルの香水の匂いがした。
必死でいつもの通りにふるまうが、はたしてそれが出来ているかなんてわからない。
ただ、手を伸ばせば触れられる距離にシャマルがいる。
その事実だけで、獄寺の心臓は鼓動を早くした。
「ったく、お前の家、国道いって一本入ったとこだよな」
「…国道よりも、10代目の家の前から回った方がいい」
わざと遠回りの道を教える。
少しでも、この空間に長く居たかった。
揺れることの少ないシャマルの運転は心地良い。
少しハンドルを動かしただけで細い道を器用に進んでいく。
何を話したかなんて、覚えていなかった。
ただ、ただ、願っていた。
信号が、このままずっと赤であるように。
このまま時間が止まるように。
大好きな煙草と酒と香水の匂いが獄寺の鼻を掠める。
近すぎるこの距離に、空間に眩暈がした。
嬉しすぎて、泣きそうになる。
もういっそ、このままここで死ねればと、それくらいに思った。
雨で歪んだガラスの向こうで、青が光った。
2009/03/14