今朝のニュースで梅雨明けだとニュースキャスターが言っていた事は真っ赤なウソだったのかと山本は空を見上げる。
確かに晴れていた筈の空は泣いていた。
走って帰れない訳ではないが、結構な激しさを持つ雨に気持ちが萎えた。
連日の雨のせいでグラウンドが使えなくて溜まっていた苛立ちが思い出したかのように湧き上がる。

「あーあ…なんで傘ねーんだよ…」

置きっぱなしにしていた傘はコンビニで買ったビニール制のものだったからか
突然の雨に傘を持っていなかった誰かが持って行ってしまったのだろう。
山本だって何度かそうした事がある為、文句を言える立場ではないのだが
在る筈のものがないのは酷く癪だ。

「ま、直ぐやむかな…」

梅雨明けの前に一度激しい雨が降って、それから夏なのだと父が言っていたのを思い出す。
梅雨という季節は6月の一ヶ月間というイメージが強かったが、実際は7月の後半までを指すのだと国語を教える教師が披露した豆知識は
最近の不安定な気候としとしとと降る雨を納得させたのを覚えている。
最終下校時間に近い今の時間では残っている生徒は少ないようで、山本以外が動く音はしない。
もうすぐすれば風紀委員が見周りに来るだろう。
何か言われたら傘を持っていかれたと言えば貸してくれるかもしれない。
持ち前の楽観的思考で決断を下した山本は外で激しく降る雨の向こうを無心で眺める。


ふと背後で何かが動く気配がした。


慌てて振り返った時に身構えてしまうのは、ここ数年身を置いている世界のせいだろう。
首から下げたリングを素早く指にはめようとして目を凝らした闇に知った顔が浮かんで口元が上がる。

「獄寺!まだ残ってたのか!」
「あ?山本じゃねーか…」

音の主は同じ世界に住む嵐の守護者。
銀色の髪を跳ねさせた獄寺はだるそうに下駄箱で上履きと外履きを履き替える。
持っている鞄には何も入っていないのかと思う程ぺちゃんこだ。
山本の部活用具が入ったエナメルと対照的でなんだか笑えた。

「ツナならもう帰ってたぜ?」

獄寺が尻尾を振る同級生は相当前に帰路についていた事を思い出して問えば
失態を思い出したのか、大きすぎる溜息を吐かれた。

「…知ってる。保健室で寝てたらこんな時間になった」

どうりで。
山本は獄寺が今いる事実に納得する。
学校など沢田が居なければ来なくても良いと思っている彼の頭脳は言うだけあって山本とは構造が違うらしい。
難関大学の試験問題を簡単に解く事も出来れば、彼が興味を示す分野も山本にはわからない所ばかりだ。
高校に上がっても彼のその態度は変わらず、授業などほとんど出ていない獄寺は
山本たちと時を同じくしてわざわざ高校の養護教員になった馴染みの殺し屋のテリトリーで睡眠学習だ。

「あー…雨かよ…」

まだ眠りから覚めてあまり時間がたっていないのか
気だるげに外を見た獄寺は傘立ての中から自分の傘を引っ張り出す。
ワンプッシュで勢い良く開いた傘を差してようやく山本が居る事に疑問を持ったようだ。

「お前は?帰んねーの?」
「いや、傘取られちまってさ…帰れねーの」

いつものように笑って見せるが、獄寺は面白くなさそうに山本を見つめる。
山本も別に面白い訳ではないため、直ぐにふたりの間に静寂が響く。

1秒
2秒
3秒


「…ほら」

沈黙を破ったのは獄寺が先。
開いた傘の右半分を開けた獄寺を山本は呆けた顔で見つめる。

「…んだよ、帰んねーのかよ」

動かない山本に獄寺は眉間の皺を深く刻む。
瞬間、理解した山本は慌てて立ち上がる。

「いや、帰る!帰ります!」

足元に置いてあったエナメルを持って獄寺の隣に立つ。
成長期の男がふたり入るには小さすぎる傘だが、ないよりはましだ。
むしろ、獄寺が自分を入れてくれた。
それだけで心が熱くなるのを感じる。

「あ、俺持つな」
「ん、頼む」

身長差から獄寺の手から傘の持ち手を奪った山本は、刹那触れた細い指に心臓を鳴らした。



獄寺との付き合いは中学校から。
はじめはただの興味からちょっかいをかけていたのだが
彼の世界を知る度に、たくさんの彼の表情を知る度に
どうしてか心臓が痛む音が響いた。
その痛みの名前を知ったのは遅く、高校に上がってから。
クラスが別れてしまってなかなか会う機会がなかった時、久しぶりに見た彼は幼さがなくなって綺麗になっていて。
その横顔に唇を噛んだ瞬間。





他愛のない話が傘の中に咲く。
少しはみ出した肩が濡れる。
それでも、コンビニに寄って新しい傘を買おうとは思えなかった。


いっそこのまま、永遠に雨ならばいいのにと
先程とは真逆の思考を山本は持つ。


「あ、もう止みそうだな」

獄寺が見た方向を見れば、雲の切れ間から落ちる光。
夏が直ぐそこに佇んでいた。
あれだけ激しかった雨もどんどん勢いを無くしていく。
わずかあと数分の小さな世界を忘れないように
山本は強く傘を握った。



最後の雨(7月・山本武)


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