■切り取られた世界


ああ、なんで君はいつもそうなのか。
給水塔の影から見えた銀の髪は間違いなく獄寺隼人のそれだった。
草食動物に興味を持ちはしなかったが、その素行の悪さには一目置いていた雲雀は先日副委員長である草壁が頭を地につけて叫んだことを思い出した。

『申し訳ありません委員長、獄寺隼人の過去はすべて霧の中でした』

並盛にくる以前の彼の経歴は闇に包まれていて、雲雀が持つ手段では到底暴き出す事は不可能だった。
いつもならば苛々しか募らない解決しない問題に、雲雀とあろう者が好奇心をかき立てられた。
もともとは素行の悪い彼の弱点を握って地を舐めさせてやろうという魂胆だったが、それは純粋な興味に変わり、偶然を装っては獄寺の周りに姿を表したりを繰り返していた。
その矢先の出来事。
青い空の下、本来ならば彼が「十代目」と慕う草食動物の側で授業を受けている時間帯だ。
校則で禁止はしていないが、過剰な使用は風紀の乱れに繋がる最新の携帯電話を耳にあてて静かに業務的に頷く獄寺はいつも雲雀が見る騒がしい彼の姿とはあまりにかけ離れていた。
獄寺の口から紡がれる日本語ではない、英語でもないその言語に独特のリズムを感じて雲雀は給水塔の影から出ていくのを少しだけ先延ばしにする。
何を話しているかはわからないが、その響きは己の耳に心地よかった。
このまま昼寝の続きでもしてしまおうかと瞼の裏の闇をみた刹那、空気が揺れた。
獄寺の纏う空気が変わったのを肌で察知した雲雀は条件反射でトンファーを取り出した。

「……Shamal」

彼の口から紡ぎ出たその名に肩を震わせた。
その名を持つ人物を雲雀は嫌というほどしっていた。
獄寺の過去を知ることは出来なかったが、それを知るであろう人物を見つけることに草壁は成功していた。
その人物は意外なほど近くにいすぎて、雲雀は息を呑んだのを覚えている。
雲雀は彼が嫌いだった。
以前、彼には胡散臭い病気をその身にかけられたせいで、今だ桃色の花をみるだけで立ちくらみがする。
彼のせいでその日は花見どころじゃなく、応接室のソファに体を沈めたのは記憶に新しい。
しかし、そんな雲雀自身の理由ではない。それだけならば良い玩具ができたと喜べた。
それでも3階下に位置する保健室にけして雲雀は近づかない。
「男は診ない」の一点張りである不精髭を生やした彼が獄寺に話しかける時には何処か優しくて特別だったから。
彼といる時の獄寺が眉間に寄せる皺はあまりに痛々しかったから。
ふたりの過去になにがあったかなどは興味がないが、自らが興味を持っている獄寺に苦しそうな顔をさせた。
嫌う理由にはそれだけでもう十分だった。
す、と給水塔の影から音もなく立ち上がると手にしていたトンファーで獄寺が耳にあてていた携帯を弾き飛ばす。

「へ…、てめ、ヒバリ!?」

慣れ親しんだ日本語に笑うと雲雀は獄寺の首筋にトンファーを突きつけた。
息が詰まろうとも気にしない。
獄寺の緑には強者と対峙している癖に怯えのひとつもみえなかった。
コンクリートに落とされた携帯からは電波の向こう側にいる保険医の声がかすかに響いた。
先ほど獄寺が話していた異国の言葉と同じものなはずなのに、それはやけに雲雀の感情を逆撫でた。

「ねえ、あんな保険医の何処がいいの?」

びく、と獄寺の肩が震える。
先ほどまで緑に宿っていた光はすうと引いていった。
答えるまでは離さないといったようにトンファーのめり込みを強くすれば、獄寺はすねたように口をとがらせて、眉をしかめて呟く。

「俺だってしらねぇよ…」

いっそ嫌いになれたら、離れられたらどれだけ楽だっただろうか。
吐き捨てたように呟かれた言葉に雲雀は先ほどまでとは違った感情に支配される。
それは、いまで感じたことがないような感覚。

「ねえ、泣きたくなったら僕の所においで」

君が十代目、と慕う沢田とか好敵手と認め始めている山本とかの所じゃなくて。
ましてやあんな女ばかり追いかけている保険医の所などではなくて。
君が泣くのは僕の前だけで十分だ、と雲雀は揺れた緑に微笑んだ。

「は…、ヒバリ?」

トンファーをしまって踵をかえせば、獄寺はいつもの調子で雲雀の背中に暴言を叩きつけた。
いつもは闘争心を駆り立てられるその暴言も今日は何処か気持ちがよくて。
雲雀は振り向きもせずに屋上を後にした。


2008/09/03


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