桃色の風が肩越しにすり抜ける。
見上げた先にはすでに散り始める桜の姿。
あとどれだけの時間が自分に許されているのか。
漠然とした不安に駆られながら、草壁は先を急いだ。
並盛中には古くから生える桜の大木が一本、裏庭の片隅に存在している。
おそらく校舎が建つより前からここに居るのだろう。
時を重ねた大樹は見事な桃色の雨を降らしてそこに立っていた。
「遅かったな」
草壁が近付くと、大木から声がした。
一瞬、桜が喋ったのかと思う程、彼の姿は影に隠れて見えなかった。
この時期、一面を犯すくらいの桃色よりも強い存在で、その声は草壁の脳に届く。
いつもは固く結んでいる唇を和らげて、声の主の元へ近付く。
「すいません、委員長に用事を頼まれてしまって…」
謝罪の言葉を述べると、桜の影から彼が顔を出す。
桃色よりも強い銀色。
新緑よりも深い碧。
たくさんの色が世界を彩る春の中、彼はなによりも強く存在していた。
「あー、ヒバリのおもりも大変だなー」
くつくつと喉で笑った彼の言葉に草壁は耳を塞ぎたくなる。
自分で出した話題とはいえ、彼の口からその名前を聞くのは少し辛い。
わざと挑発するように言っているのはわかる。
それでも、あの暴君に従う時のようには冷静になれないのは何故だろうか。
「よく言いますね、貴方の恋人でしょう?」
皮肉めいた言葉を乱暴に投げれば、笑うのをやめた彼は桜の下で手招きをする。
誘う手の動きに抗う事など出来る筈がない。
熱に浮かされるように、草壁は足を動かす。
あと5歩、3歩、1歩。
零になった距離に彼は笑った。
彼―獄寺隼人との関係を問われて答えに困るようになったのは何時からだろうか。
はじめは主が気に入った相手としての認識しかなかった筈が、いつの間にこんな関係になってしまったのか。
軽く合わせただけの唇の温かさの中、不意に思う。
草壁が仕えている雲雀はあの手この手を使って獄寺を手に入れた。
彼の何処に雲雀が惹かれたのか詳しくは知らないけれども、同じように彼に惹かれた自分を見て漠然とは理解していた。
何故、惹かれてしまったのか。
何故、それに応えてくれたのか。
獄寺の心境はわからない。
忙しい雲雀に対する不満の果てか
それとも草壁との空間に何かを感じたのか。
「草壁…」
囁かれた名前は呪いの言葉。
昨年かけられた病気のトラウマで、雲雀は桜の下には近寄らない。
この秘事が白日に晒される心配はない。
計算されつくした密会。
主への謝罪と獄寺への愛しさは全て混じり合って草壁を侵食する。
どれだけ苦しくても終止符を打てないのは、彼のせい。
桜が隠してくれるからと、儚い日のせいにして。
離せない唇を肯定した。
あと数日で消えてしまう世界の中。
この苦しい関係を続けて行くための言い訳を。
次の季節へのこじつけばかりを探して。
桃色世界(4月・草壁哲矢)