■追悼
百合、かすみ草、マーガレット
大量の花が舞い散る。
白を基調としたその吹雪に込められた呪いを知るのは唯一。
その地に白を降らせた人物は銀を翻して無表情に崖の下を見る。
車の通りも少ない山道。
満足に整備されていないその道に佇んだ彼は腕の中の花が無くなったのを確認すると後ろに控えた男を振り返る。
「…なくなっちまった」
哀しそうに言った彼に、声を掛けられた男は最後の一束を渡すことなく、これ見よがしな溜息を吐く。
「お前…3時間は裕に散らしてたじゃねーか」
まだ足りないのか、と聞けば彼は無言でスーツのポケットから煙草を取り出して、咥えた。
長く細く紫煙が空へと昇る。
遠い島国で見た、死者を弔う煙のように。
数年前の9月9日。
たった一日、その年だけ、彼は自分を呪うのを忘れた。
それは、彼に大切な人が出来て、その人と立場を護るための戦いに身を投じていたため。
結果、自身にも大きな傷を負い、再び碧を見せた時にはすでに日付は4日程過ぎていた。
刹那、彼を襲ったのは絶望。
幼い日、確かに自分へ申し分のない愛をくれた彼女への謝罪が出来なかったことを、
彼女の人生と命を引き換えに今を生きている自分への戒めを忘れたことを、ただただ悔いた。
声を殺して涙を零した。
どんな大怪我を負っても、どんなに憎い相手に肩を貸してもらった時も、けして流れなかった雫が頬を伝う。
碧から零れたそれは重力に忠実にシーツへと染みを作った。
どれだけそうしていただろう。
ふと、自分の隣にひとつの影があるのに気付く。
涙で歪んだ視界を必死で探ってみれば、それは幼い日に憧れた師の姿。
『シャ、マ?』
掠れた声で呼べば柔らかく微笑んだ彼は親愛のキスを額へと落とす。
鼻を掠めた大好きな香りの中に、自分が先ほど流したのと同じ匂いがした。
『よかった…』
心底安心したように絞り出されたその声に、彼は己の涙を恥じる。
彼女を亡くしてからの数年間、自分へかけ続けた呪いはただの自己満足だったということを。
彼女を犠牲にした上に成り立つ命であっても、大切だと言ってくれる人が居たことを忘れていたことを。
そして次の年から、彼の呪いは姿を変える。
彼女が命を落とした崖の上に、大切な人と共にたって花を散らす。
ごめんなさい、とありがとうを繰り返して。
それはあの瞬間から6年たった今でも守られている「呪い」。
彼の隣に立つ人は変わらない。
少しだけやつれた顔に年月を感じるが、愛は変わらずにそこにあった。
「もういいのか?」
ゆっくり一本、煙草を嗜んで歩きだした彼―獄寺にかけられた問いに、
獄寺は泣きそうな微笑みを浮かべて幸せそうに言葉を紡ぐ。
「ああ、ありがとう」
その言葉を合図に車はその崖から遠退く。
自分の背中で小さくなる崖に、獄寺は小さく呟いた。
「また来年な、母さん」
おそらく、獄寺が母に抱く負い目は変わる事はないだろう。
死者への気持ちを変えるのは難しい。
しかし、それを緩和する事は可能だ。
獄寺にとって、その役目を負ってくれたのは過去も今も未来もただ一人。
「さて、帰ったらお前の誕生日祝いでもするか」
「…もう20歳なんだけど」
獄寺自身が、この世に生を受けたことを呪うのと正反対に。
その隣を許された彼は、獄寺が今、この世に居る事に祝福を贈る。
「Buon compleanno Hayato」
温かいキスをその頬に贈られて、獄寺は頬を薄桃色へと染め上げた。
「Grazie」
小さくだが、返されたそれに満足そうに微笑んだシャマルは最後の白を運転席の窓から、崖の下へと放り投げた。
2009/09/09