■エデン
連休が明けた5月。
もうすぐ中間テストで校内の空気は慌ただしい。
3年生はこれが高校へと伝わる最後の成績になるのだから尚更だろう。
自分には関係ないけれども、と焦るクラスメイト達を置き去りにして沢田は窓の外へと視線を移す。
晴れ過ぎた空。雲ひとつない青。
今日はいい日だ。
「じゅーだいめっ」
スキップするような弾んだ声を沢田へ投げたのは銀をまき散らした彼。
一年前よりも長く伸びたそれは襟足にかかって少しだけ暑そうだ。
「獄寺クン」
にこりと彼が望んだ笑顔を向けてやれば、獄寺は尻尾を振って沢田へ他愛のない話題を振る。
購買に新商品が出ていたとか
数学が自習になったとか
角の家にボヤ騒ぎがあったとか。
普通の学生が繰り広げる他愛のない話題。
まるで普通の学生に戻ったような錯覚。
「あ、そうだ」
次から次へと出てくる話題を切って、沢田は獄寺へ重要な事を言い渡す。
「今日俺進路相談で遅くなると思うんだ」
「あー、まあ表向きは就職みたいなものですもんね…」
中学校の生活が終われば沢田はイタリアへ行く事を決めている。
ボンゴレを継ぐためには少しでも早く、現場に立たなければいけない。
それは家庭教師であるリボーンが言いだすよりも前に沢田自身が決めた事。
それをこの春進級してから告げられた獄寺や山本もはじめは渋い顔をしていたが、それでも最後は沢田と運命を共にする事を選んだ。
すでに高校に進学している笹川も、小さなランボも、まだ捕えられている骸も了承済みだ。
「中卒で就職なんて先生大変だよねー」
あはは、と他人の事のように笑った後、沢田は獄寺へ指令を下す。
「だから獄寺くん、応接室で待っててね?」
「え…」
どうして、と獄寺が問う前に沢田は言葉を続けた。
「最近ヒバリさんと会ってないでしょ?俺、知ってるんだよ」
この時期、組織のトップを担っている人間は誰もが忙しい。
それは、獄寺の恋人であり雲の守護者である雲雀も例外ではない。
連休明けで浮かれている者への制裁、中間テストへの指示、予算や部活動の試合の把握。
生徒会に近い業務も引き受けている風紀委員長はこの時期応接室から出られない。
「しかし…アイツは…忙しいんで…」
「なんか獄寺くんと会っていないとあの人凶暴性が増すんだよねー」
だから、ね。お願い。
獄寺の弱い角度で「命令」をすれば、忠実な彼は頷かずにはいられない。
仕方なさそうに言葉では言っているが、その碧が浮かれているのを見逃さない。
獄寺には見えないように溜息を吐いた。
沢田がボンゴレを継ぐと決めた根本的な理由はとても不純だった。
獄寺が右腕で居てくれる。
ただそれだけだった。
初めての友達
初めての帰り道
初めての外泊
すべて獄寺と一緒に行動したそれが初めだった沢田にとって、その世界は楽園そのもの。
このままで居たい、ずっと側にいてほしい。
恋というにも愛と呼ぶにもふさわしくないただの独占欲。
それでも沢田は獄寺の事が好きだった。
しかし、そんな楽園は永くは続くはずがない。
友達だと、思っていたのに。
誰よりも近くにいると思っていた。それなのに。
獄寺は沢田が知らない間に、雲雀との関係を深めていた。
けして相容れない筈だったふたりがどうしてそうなったのかはわからない。
でも、その関係はお遊びなんかじゃなくてふたりとも本気なのは、よくわかった。
悔しい、苦しい、切ない。
数々の言葉にならない気持ちが沢田を襲う。
結局自分はひとりなのだと、昔の生活を思い出す。
しかし、そんな鬱になった沢田を救ってくれたのも、やっぱり獄寺だった。
(10代目!)
彼がどんなに他の人を愛していようと、諦めるなんて出来なかった。
手放せる訳がなかった。
だから沢田は最後のあがきで雲雀にだけ、イタリア行きを伝えなかった。
もともと守護者じゃないと言い張っている相手だし、どうせ自分が何を言っても動いてくれないのはわかっている。
正直、壊れてしまえばいいと思っている時もある。
どうしようもない距離に
忙しい毎日に殺されて
互いの事など考える余裕もないくらいに
しかし、そうなったら獄寺は泣くだろう。
彼の涙は見たくない。
獄寺の笑顔が、沢田は一番好きだった。
次の授業を告げる鐘が鳴る。
これが終われば放課後だ。
面倒な教師との対話に足を向けなければならないのかと思うと憂鬱だった。
「じゃ、十代目。終わったら携帯鳴らしてください」
主の心など露知らず。
おそらく雲雀との逢瀬を考えているのだろう。
獄寺の横顔は綺麗に映った。
ねえ、ヒバリさん。
残念だったね。
獄寺の影に見えた黒の人物へ沢田は笑った。
結局、獄寺のすべてを沢田が独占出来ないように、雲雀もまた、獄寺のすべてを所有する事は出来ない。
獄寺にとって『ボンゴレ10代目』である沢田は神に近い。
恋愛対象として愛する事はなくても、すべてを投げ出し全身全霊を注いでくれる。
それだけで、幸せだった。
ああ、俺はなんて幸せな世界にいるんだろう。
血に塗れたその町が、楽園に見えて仕方がなかった。
2009/10/14