■大人はわかってくれない
あれだけ輝いていた太陽が沈むのが早くなった。秋の日は釣瓶落としとは、昔の人はよく言ったものである。赤すぎる夕焼けの後に来る夜のせいで、蹴り上げたボールが見えなくなって終わる練習風景はそろそろ定番になりつつある。次の予算会議では野球部と提携して校庭を照らすライト設置のために戦うつもりだ。
満足にボールを蹴る事が出来ずに部室に向かう足を、ひとつの声が止めた。
「鬼道」
普段から無口な男の声は耳に残る。振り向いた先には想像していたのとまったく同じ人物がまったく予想をしていなかった顔で立っている。この顔は、どこかで見た事があると古い記憶を探るが、あまりに濃い数か月だったせいでうまく思い出す事が出来ない。
「どうした、豪炎寺」
「少し、この後いいか?」
断る理由はない。一緒に居たくない相手でもない。だから、二つ返事で承諾したがその時の彼の顔は安堵と困惑が混じった複雑な表情に見えた。
家に来るかと誘ってみたが、駅前のファーストフード店でいいと言う豪炎寺の言葉は有無を言わせない強さがあった。
雷門に来てからよく赴くようになったファーストフード店で100円のドリンクとポテトを頼み(豪炎寺はハンバーガーも追加していた)窓際の席に座る。時折無性にこのチープな味が食べたくなる。付属で貰ったケチャップを掬って何本かのポテトを口に放り込む。あまり食べすぎては家に帰った時に夕食が食べられなくなるなと思いつつも、やめられない。
「で、何があった」
何口かでハンバーガーを食べ終えた豪炎寺はしばらく考えこむようにストローを噛んでいたが、俺のせっついた視線に重かった口を開いた。
「鬼道は、帝国に戻るのか…?」
この先の進路の事を言っているのだろう。
もともと帝国は幼等部から大学までエスカレーター式で付属されている学校だ。他の私立に比べれば、そのエスカレーターで上がるにも難解な試験がある為再入学となる俺もある程度の勉強はしておかなくてはいけないなと思っている。
「そのつもりだが…」
一瞬、彼の話したい事とはこの事かと思うが豪炎寺は自分のチームメイトがどこか別の学校にいく事を否定するような人間ではない事を思い出して、その可能性を打ち消した。(何かしらの感情は抱くのだろうが、それぞれの道なのだから口を出すべきではないと思っているんだろう)
「帝国でもサッカーを続けるのか…?」
やはり、想像した通り俺が帝国に戻る事が話題の本質ではないようで、それを前提とした上の問いを投げられる。それには一瞬迷うが、隠していても無駄だろうと判断した俺は誰にも言っていないその先をこたえる。
「一応、続けるだろうが二年の秋までだろうな」
その答えに多少の驚きを見せた豪炎寺を意外だと感じたが、彼は俺にとってサッカーがどれだけのものかを知っているからそんな反応をみせたのだろう。言葉が足りなかったと反省をして、追加をする。
「止める訳ではない、別の方向から関わっていくつもりだ」
納得をしたのか、言葉の意味を考えているのか、豪炎寺は数秒の間下を向く。俺の進路を聞いてきたという事は彼の悩みもそれにまつわるものなのだろうと勝手な想像をしてストローを咥える。氷が溶けて薄くなったアイスティーが喉を通り過ぎた。
「医者に、なろうと思う」
ようやく豪炎寺の口から発せられた言葉に一瞬、驚いた。それは確かな決心だった、決意だった。しかし、何かに引き止められているような印象を受けた。
彼の父が医者であり、FFIの時には韓国戦を最後にサッカーを辞めろと言われていた事も俺は知っている。(事後報告ではあったが)しかし、彼のプレイを見て心を打たれたようで、サッカーを続けていく事に反対はされていなかったはずだと記憶を探る。
「父さんはあれから何も言わないが、俺に医者になってもらいたいんだと思う。俺もなろうと思う。その為にしなければいけない事は山ほどある。でも、サッカーを辞める事に抵抗があるんだ…」
一度はサッカーを辞めた事がある彼は言葉で語る事が少ない。だからこそ、どれだけ彼にとってサッカーというものが大きいかを知っている。好きなスポーツというよりは、自己表現の手段なのだ。ボールを蹴っている間の彼を知っている。そのボールを受けた事があるからわかる。
それは、俺も同じだ。
「でも鬼道はもう辞めるって決めているんだろ?その、プレイヤーとしては…」
そして、彼も俺にとってサッカーがどれだけのものかをよく知っている。だから、俺の決断を意外だと思ったのだろう。
決心した俺は半分程アイスティーを飲んで、その結論に達した筋をゆっくりと紡ぐ。
「お前と反対でな、父は俺にサッカーを続けた方がいいと言う」
豪炎寺の眉がぴくりと震えた。少しばかり怒らせてしまったのだろう。許可されているのにそれを選ばないのは、それを求める彼にとっては信じられない事なのだろう。
しかし、それでも俺はこれを譲る事は出来ない。
「しかし、俺の存在は個人である前に『鬼道有人』だ。一時期はそれで悩まされもしたが、俺は『鬼道』として生きたいんだ」
「だが、お前の父親は続けろと言っているんだろ?」
ならば限界まで続ければいいじゃないかという彼に、その結論の本質を吐いた。
「俺は、あの人と同じ世界を見たい」
豪炎寺の喉が動く。言葉は続く。
「サッカーを憎みながらも愛し続けたあの人と同じ立場で、あの人が最後に守ったサッカーを守りたい」
「あの人が作ってくれた『俺』として」
この心も体もプレイスタイルも、すべてあの人が作り上げた「最高傑作」。自分が関わった世界を吐いて命と引き換えに俺が立つフィールドを守ったあの人のように、プレイヤーではなくその世界を見ていきたいと、そう感じた。あの人が愛した世界を俺も守りたい、そこで生きていきたい。
薄い黒の向こうから見ていたであろう世界を見てみたい。
「贅沢な我儘だとわかっている。しかし、俺はまだあの人の隣にいたいんだ」
プレイヤーとしてはまだ満足できなくて、もっともっとあの人に近づきたくて、豪炎寺からしてみれば我儘な悩みなのだろう。父には本当の事を言っていないから気を使っているのだと思われているのだろう。
そうではない、そうではないのだ。
ただの我儘だ、これはあの人を消せない、消したくない俺の我儘だ。
話し終えた俺の言葉にひとつ溜息を吐いた豪炎寺は力なく笑う。
「…わかってもらえないだろうな、それは」
「そうだろうな…」
互いに、自分の未来に掛ける想いも考えも、そして出来るのならば期待に応えたいと思う葛藤も大きい。しかし、それは理解されないだろう。わかっている。いつだってまだまだ子供の俺たちは、わかってもらえない。
大人が考える以上に真剣に毎日を見据えているというのに。
「そういえば予算会議でグラウンドの照明について戦うつもりなんだが」
「ああ、それはいい考えだ。協力しよう」
無理矢理日常に会話を戻す。こんな会話もあと何回続けられるのだろうか。この先で待つ未来は大きく口を開けて俺たちを飲み込もうとしていた。
午後6時半、騒がしい店内の片隅で一秒を惜しんだ。