■知らない顔

一歩立ち止まって鏡を取り出す。
髪型、よし。
表情、よし。
今日の俺も完璧だ。
己に非がない事を確認して貴方の側へ走った。

「鬼道総帥!」

敬愛に満ちた瞳を向ければ貴方は優しく微笑んで振り向いてくれた。
この瞬間が一番好きだ。
この方の瞳に自分が映る、この瞬間が一番大好きだ。

「ああ、雅野か」

何かあったか、と問う声は耳に心地いい。
それだけで、何度も決意を新たにする。
この方の側にずっと立とうと、心を決める。
総帥はスライド式の携帯をスーツの内に仕舞い、俺に時間を向けてくれた。
総帥は多忙な方だ。
多くの人間と連絡を取る事があるのだろう。
それなのに、どうしてと何度も見た事のある携帯にずっと気になっていた事を問う。

「総帥、携帯変えないんですか?」

総帥がお持ちのそれは相当古い型のものの筈だ。
端の欠け具合からみても5年は裕に使っているだろう。
ふと思い立って昨日の休みに変えたばかりのタッチパネル式の携帯を取り出して見せてみた。
勿論、電話帳の一番は鬼道総帥の番号を入れた。

「これ今一番新しい型なんですけど、結構使い易いですよ!ふたつ番号を持てたりもしますし、パソコンと同期させれば同じデータを引き出す事も可能ですし!」

少しだけ、本当に少しだけ、鬼道総帥とお揃いの型を持ちたいという小さな野望を抱いて(これくらい許されるだろう)まるでショップ店員のような説明をすれば貴方は更に優しく微笑む。

「ありがとな、雅野」

頭に置かれた手に心臓が五月蠅い。
ああ、総帥。鬼道総帥。
俺は貴方が、貴方に、貴方を。

「でも俺はこの携帯がいいんだ」

すまない。
総帥が謝る事ではないのに、そして俺が悪い訳でもないのに総帥は酷く哀しそうな顔で笑う。
それはなんだか、貴方が酷く遠い人に思えて。

「総帥……鬼道総帥」

どうしてか零れそうになる涙を堪えて、俺は必死に貴方を呼んだ。


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