■花葬


「やぁ円堂」
「おぉー豪炎寺、風丸」

学生時代はあれだけ毎日顔を合わせていたというのに、社会に出てから簡単には果たす事が出来なくなっていた再会に円堂の胸は高鳴る。
初めて11人揃ったチームで初めて試合に向かったあの時のような、懐かしい気持ち。

「よく来れたな、お前の診察受けようと思ったら風邪でも予約とらなきゃいけねぇくらいなのに」
「円堂こそスケジュール大丈夫なのか?明後日にはイタリアだろ」
「忙しいのは風丸、お前もだろ」

あの時、共にひとつのボールを追いかけたチームメイトは違う道を歩いている。
豪炎寺は医者、風丸は商社の営業、円堂はサッカー監督として集まった肩は、それでもあの時を思い出させた。

「まぁこんな遅くなっちまったがな」
「確かに。でもさ、絶対に来たかったんだ」
「そうだな…これが最後だしな」

深夜だというのに豪炎寺の唇が震えている事が痛い程にわかった。
嫌な静寂がまとわりつく。
精一杯我慢していたはずなのに、鼻の奥がつんとした。

「あぁ、音無だ」

この春職場の同僚である教師と結婚した彼女はもう「音無」ではないけれども。
黒いワンピースで出迎えてくれた彼女はいつもの賑やかな彼女からは想像出来ないような笑みを浮かべた。

「遅くにありがとうございます」
「いや、こっちこそ遅くなってごめん」
「あれ、なんか五月蝿いね。まだ誰か居るの?」

もう既に時刻は日付を跨ごうとしている。何度来てもやけに広い屋敷の中は酷く賑やかだ。

「佐久間先輩と不動先輩ですよ」
「あぁ…あいつらか…」
「道理で」

アルコールも入っているのだろう。
佐久間の泣き叫ぶ声が響く。それに対して怒声をあげる不動の声も、震えている。

「あと綱海さんもわざわざ沖縄から来てくれたので今日は泊まって貰うそうです」

この家の主の妹だというのに何故伝え聞いたような他人事なのかとからかおうとして気づく。

(ここは「彼女」の家じゃない)

兄と長く離れて暮らしていた彼女にとってここは他人の家だ。兄だというのに家族だというのに、どうして二人の関係はこんなに胸を締め付けられるのだろう。

「お兄ちゃん、待ってましたよ」

早く。と急かした彼女に三人は黙ってついていく。
彼女に連れてこられた先は広い屋敷の奥まった一角。洋の中にひとつの黒い棺。その周りには数えきれないほどの白い花、花、花。

「お兄ちゃん、円堂先輩たちだよ…」

真っ白な花の中、瞼を閉じた鬼道の目にはトレードマークだったゴーグルはない。若くして鬼道財閥のトップとなった彼の瞳には子供用のサイズのあれが合うわけもなく、しかし、それを最後まで大切に持っていたのだろうという事だけは誰にいわれなくても分かる。フィールドを駆け回った赤と蒼のマントは明日一緒に入れるらしい。

「遅くなってごめん…」

横たわる鬼道の顔は、昔合宿所で見たそれと同じで。
呼べば「なんだ、円堂?」と起き上がってくる気がして。

「…鬼道、なんで死んじゃったんだよ」

我慢していた涙が零れた。
それは豪炎寺も風丸も同様だったようで、目頭を押さえたり唇を噛んだりして必死に気持ちを強く持とうとしている事が分かった。



鬼道の死は突然のものだった。
いつものように鬼道が束ねているグループ企業に挨拶に行った帰り、突然倒れたのだと運転手は言う。
慌てて救急車を呼び、緊急措置を施したのだが彼の心臓は二度と動く事はなかった。
財閥の若きトップ。しかし、その指導に異を唱える者はいないと言われる人望。親が望んだ相手と結婚をし、子供を作り、彼の人生は全てが輝いて見えていた29歳の青空の下での突然の悲劇。

「グループ…どうするんだ…」
「鬼道のお父さんが一度戻るんです…まだ子供、小さいから…」
「そうだよな…」

一通り泣いて落ち着いた円堂の隣に彼女は座る。よく見れば、彼女の目にも涙の跡があった。無理もない。この兄妹の間には普通の血の繋がり以上に強い何かがあった。兄弟のいない円堂にははっきりとわからない物だが、それでもこんなにも苦しい気持ちにさせられる。(妹のいる豪炎寺は余計にだろう)
花の中、瞳を閉じる兄を見て彼女は何を思うのか。
掛ける言葉を探すが、適切なものは見当たらない。



その静寂の中で彼女はひとつ、呟く。
寂しさと苦しさと、悔しさが混じった掠れた声で。

「お兄ちゃん…影山に、連れて行かれちゃった…」

彼女におやすみを言い(恐らく彼女はまたこれからひとりで泣くのだろう)客間で五月蠅かった佐久間と不動、そして綱海の輪に3人が入る。
出来あがっている佐久間の手から酒(綱海の土産のようだ)を取り上げて一気に飲んだ豪炎寺がその日の事を教えてくれた。

「何度電気でショックを与えても、どんだけ力強く心臓を押しても、まったく動かなかったそうだ…」

鬼道が運ばれた病院は、何の偶然か豪炎寺の父親の病院だった。鬼道財閥の若いトップ、息子の元チームメイトであり親友。もちろん、出来る限りの手は尽くした。しかし、一度たりとも動かない心臓を診た彼は、茫然と立ち尽くした息子に呟く。

『まるで、この世界に戻る事を拒否しているような…強さだったよ』

「だからさ、さっき音無が言ってた事が妙にしっくりきたんだよな…」

誰も言葉を発しない空間で、彼女の言葉が反響する。

『お兄ちゃん、影山に連れて行かれちゃった…』

「思えばさ、影山が死んだ日と鬼道の心臓が止まったのって日付も時間もまったく同じなんだぜ?気味悪いくらいにな…」

15年前のその日、異国の地で散った命は鬼道が師と仰いだ人間のものだった。サッカーを憎む事でしかサッカーを愛する事の出来ない、悲しい男の最期に鬼道は酷く焦燥し、彼らしくもなく取り乱した。あの日も、誰も彼に何と声を掛けていいのかわからず、それについてはどれだけ悩んでも結局答えは出る事なく鬼道自身が立ち直るのをただただ待っていた。
影山という男をよく知る佐久間と不動は大きくため息を吐く。

「ったく…あの人は何処まで鬼道さんを…」
「まーでも鬼道ちゃん、総帥大好きだったからねー」
「アイツさ、白のスーツばっか着てんのな!」
「俺、髪を後ろでまとめた時にはマジで影山思い出した」
「知ってるか?アイツ酒飲み過ぎたら寝言で総帥呼ぶの」
「まじで?」
「盲目だよなー」
「で、なんでお前は知ってんだよ、不動…」

また騒ぎ始めたふたりのおかげでようやく笑顔らしい笑顔を作る事が出来た。本来なら通夜や葬式はこういった故人を思い、昔の話をして少し泣いて笑って送り出してやるものなのだろうと、ふと思う。

「案外さ、鬼道が影山追いかけていったのかもな」

捕らわれていたのはどちらか、逃げられなかったのは誰か。もし、鬼道が雷門へ転入しなければ影山とは二度と会う事なく過ごせたのか。それは恐らく、違うだろう。どちらが捕えているのかわからなくなるほど、どろどろに、彼らの縁は複雑に絡まっていた。
それは、誰も解く事が出来ない甘い呪縛。

「親父さんの望んだ相手と結婚して、子供まで作って、あー、確かに鬼道財閥にはしっかりと恩返していったよな」

彼はほぼ全ての約束をしっかりと守っていた。鬼道の名にふさわしい姿を見せ、妹の一番幸せな日を見送った。『鬼道有人』としてしっかりと生きて見せた。
円堂は彼がいつも座っていた自分の左側に声を掛けた。

「なあ鬼道、そこに いるか?」

不思議な事に、これだけの人数が集まる中その場所だけが人ひとり分欠落していた。まるで、本当に鬼道がいるような幻が視えた。

「影山によろしくな」

あと40年くらいしたら、そっちにいくから。


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