■ポロメリア(4)


「息をのむ美しさだったよ」

あの後、鳴り止まない拍手の嵐を背に生徒会室へ戻ってきて白衣を脱ぎ捨て、制服のシャツを羽織っているヤマトに羽賀が声をかける。
褒め言葉なのだろうが、自分の中世的な容姿にコンプレックスを持っているヤマトには厭味にきこえた。

「そりゃどーも。生徒会としては成功か?」

気力をそがれたヤマトは今までの疲れがどっと出たのか、シャツのボタンをとめることもせず、羽賀が差し出すペットボトルの水をいっきに飲み干した。
口に入りきらなかった水が、白い肌をつたっていく。
それはヤマトの美しさをいっそう際立たせていた。
羽賀は口元に笑みを浮かべ、ヤマトに一歩、また一歩と近づく。

「あと少しで成功だよ、石田」
「あと少し?舞台は終わって…」

その瞬間、ヤマトの足から力が抜ける。
今まで飲んでいた水が音をたてて床へと落ちる。
その向うでヤマトをみて笑う羽賀がいた。

「な…んで…」

体が痺れて動かないヤマトをみて、羽賀は笑う。
そして突然、生徒会仕様のフェイスからあの明るいサッカー部の彼の顔へと変わった。

「俺さあ、八神の事すっげームカついてたんだ」
「な…んだと?」

にっこり笑って床に倒れるヤマトと目線を合わせる。ヤマトのゆがめられた眉にますます笑う。
ヤマトは彼の口からでた言葉に驚きを隠せないでいた。
いままで太一と一緒に笑って、同じボールを追いかけて、グラウンドを走り回っていた彼が太一に苛立ちを感じていた。
いままで自分に話していたことはすべて偽りだったのか。
小学五年生の頃までの孤独で人を信じれなかった自分が不意によみがえる。
こうやって嘘をつかれたり偽られたりした、だから永遠などないと思っていた。
太一のおかげでやっと人を信じれるようになったのに…羽賀はそんなヤマトの気持ちにお構いなく、ヤマトの白い肌に手をかける。

「だってね、初めてみた時から君が好きだったからさ」
「いつも隣にいる八神に嫉妬したよ」
「そして、こんなにも石田を必死にさせている事が一番腹たった」

ヤマトの目には恐怖しか映らなかった。
いつも笑いあっていた羽賀が自分に欲望を抱いていた。
黒く笑う羽賀はヤマトの白い肌を愛おしそうになで上げる。
途端ヤマトに吐き気がわきあがる。
羽賀はヤマトの顎に指をかけ、自分の唇とヤマトのを合わせようとした。

『嫌だ』
『嫌だ』
『嫌だ!』

その時、ヤマトは太一の名を痺れる意識の中呼んだ。










ヤマトが舞台から去った後、太一は涙を乱暴に拭って彼を探しに体育館を飛び出した。
しかし、彼に一言謝罪をいれようと沢山の人が押しかけたため、
舞台を降りるヤマトとその場で合流することはできず、太一は半ばみんなを押しのけるかのように生徒会室へと急いだ。
自分の気持ちはけして気付かれていないだろう。なんせあのヤマトだ。
人のことになると敏感なくせに自分の事になるといささか鈍くぬけている。
あの容姿と性格でどれだけの人が惹かれているのかも知らずに。
そんなヤマトに太一が恋愛対象としてみていると言えば、彼は至極悩むだろう。
それだけならまだいいが、太一に対して固く構え、挙句の果てには白黒はっきりつけて『親友』という立場すらなくしてしまうかもしれない。
それでも、太一の中に芽生えていたものはそんな理屈で抑えられることではなかった。
誰の手にもヤマトを渡したくなかった。自分のものにしたかった。
そのために、勇気の持ち主である彼は押していくことに決めたのだ。
とりあえず今は『親友』として彼にお礼を述べよう。
そして、明日からも時間をみつけては会って、以前よりも仲良くしていって、最後には自分がいなければ彼が存在できないようにして―――。
太一は笑顔を作り、生徒会室の扉をあけた。




その向うでみたものは




ぐったりと床に倒れているヤマトに、今、まさに唇を落とそうとする羽賀。
シャツから見える白い肌には汚らわしいと思えるような指を這わせていて。
太一は考えるより先に叫び、羽賀の頬を殴った。
その叫び声は、おそらく今まで太一が出した中で一番の声。
デジタルワールド、ディアボロモンの時以上の悔しくて、憎くて、憤りを感じていた。

「羽賀ぁ!てめぇヤマトになにしやがったぁ!!」

羽賀の手からヤマトを奪い返した太一は、彼の存在を確かめるかのようにぎゅっと抱いた。
殴られた羽賀はうってかわって、狂ったように笑い出した。
いつも一緒にグラウンドをかけまわっていたあの彼とはまったく別人のようで太一は恐怖を感じた。
それでも、ヤマトに手をかけたことは太一にとって一番許せない行為であったから。
羽賀は黒い笑みを絶やさず生徒会長の椅子に座り、太一を見下したような目をした。

「八神、自覚しちゃったんだね」

羽賀は太一が気付くずっと前から、太一がヤマトへ向ける想いの正体を知っていた。
それは、自分も同じ感情を彼に抱いていたからなのか、羽賀自身の勘の良さがあったからなのかは定かではない。
しかし、自覚していないなら好都合と太一に近づきヤマトの情報を得てヤマトに近づき、ヤマトの数少ない心をひらける友人になれるようにしたのだ。
それでも太一にはかなわなかった。怪我は本当に偶然だ。しかし、それをうまい具合に利用した。
太一のこんな噂が流れれば、二人の仲は揺らぐと思っていたのだ。
しかし逆に、それが二人を近づけてしまった。
歯痒い気持ちになった羽賀は、生徒総会を利用した。
最初は少しでもヤマトといる時間を作りたかっただけなのだが、これを機会に自分のものにしてしまおうと考えたのだ。
羽賀の計算ミスは、二人の絆があまりに強かったことと、太一が気持ちを自覚したこと。
そしてそれと同じように―――。

「俺の事なんかこれっぽっちも石田は考えてなかったんだなぁ」

傑作だと笑う羽賀の眉間に皺がよる。
怒りのなかで、太一は羽賀の切ない気持ちを理解した。
身をはって太一を庇ったヤマトをみて、恋心を抱いていた彼は身の裂かれる思いだっただろう。

「羽賀、俺はお前のこと許さない。でも、気持ちは理解できるから」

あと少し自分が遅かったら、ヤマトはあそこでキスされて足を開かされていたのか。
それを考えると恐怖しか感じなかったが、デジタルワールドのおかげで太一には中学生とは思えないほどの心の広さがあった。
あそこまでした羽賀に、今までと同じチームメイトでいることを約束させると、
ヤマトにこれ以上近づくなと釘を刺し、痺れ薬のせいで意識を手放したヤマトをかかえて生徒会室を後にした。
それを他人事のように見ていた羽賀の頬に一筋の涙が流れた。

「ほんと…好きだったんだよ…」

流れる涙を拭いもせず、声もあげず、静かに泣く羽賀は青を見た。










「たい…ち…」
「気付いたか?」

ヤマトは周りの白に、太一に保健室へと運ばれたことを瞬時に理解した。
そして同時に羽賀にされた事がフラッシュバックする。

「あ…俺…」

がたがたと震えだした体を落ち着かせるように太一はヤマトを強く抱きしめる。
その太一のぬくもりに安堵しながら、ヤマトは力なく微笑んだ。太一の眉間に皺がよる。
太一の優しい言葉を遮るようにヤマトは呟く。

「俺さ、あの意識がなくなるなかで、最後にお前の名前呼んだんだ」
「なんでだろ、あんな状況になりながらお前の事しか、思い浮かばなかった」

その言葉は、麻薬のように太一の心を蝕む。もう、なにも考えられない。
もう、ヤマトへの甘い想いしか太一のなかにはなかった。
そのまま、吸い寄せられるかのようにヤマトの唇に自分のを重ねる。
ヤマトのそれはふんわりと、甘く、さらに太一に理性を無くさせる。ヤマトを抱く腕が強くなる。
羽賀にあんな事をされた後に、自分はヤマトになにをしているのだ。
自分も羽賀とかわらないのではないかと頭の隅で考える。
しかし、羽賀の時と明らかに違うのは、ヤマトが拒否していないというところ。
太一にはヤマトの気持ちはわからなかったが、自分の気持ちを知ってもらいたいために言葉にすることを選んだ。
離した唇の先には、青い目を丸くして太一をみつめるヤマトの姿があった。
雨上がりの爽やかな風がカーテンを揺らす。太一の茶色の目に勇気が宿った。



「俺さ、ヤマトのこと他の誰にも渡したくない」
「ずっと俺の隣に置いておいて、ずっと離したくない」
「ヤマトの事が、好きだ」



ヤマトの青い目は何を思っているのか太一はわからなかった。
しかし、ふと金がゆれ、自分の唇に再度柔らかい感触がした。
先ほどとは違い、それは直ぐ離れてしまったが、その先には頬を朱に染めたヤマトがいた。

「ヤマト…」

まるで太一と目をあわせるのを恐れるかのように、視線をそらしてヤマトは言葉をつむぐ。

「おれ…太一が隣にいなきゃ寂しくて、でもいつも笑顔で居てほしくて」
「いつも真っ先に太一のこと考えてて」
「羽賀にされそうになったら嫌だったのに、太一だと違った…」

どんどん赤くなるヤマトを太一は愛しさを覚える。
言葉にするのを上手としないヤマトは自分の気持ちにぴったりの言葉を捜しているのだろう。
太一は再び強くヤマトを抱きしめ、今度は耳元で囁く。

「好きだ、ヤマト。俺と付き合って」

直接的な言葉にこれ以上ないほど白い肌を赤くしたヤマトはおずおずと太一の背に腕をまわし、呟くように。

「離したら承知しないからな…」
「離すかよ。絶対、お前が嫌っていっても離さねぇ」

ヤマトが信じていた『永遠』は壊された。
『友情』以上の『愛情』を彼の胸にはっきり刻み込んで――――。
それでも、それが友情以上に彼らにとってしっくりくる気持ちで。
今、新しい一歩を二人は踏み出した。

どちらかともなく唇を合わせる。
その姿を隠すかのよう風がカーテンを吹き上げた。
窓の外には梅雨明けの青が広がっていた。


END


2007/07/15


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