■ポロメリア(3)


泣き疲れてそのまま泊まった太一の分の弁当を作り、ヤマトは溜息をついた。
溜息をひとつつくと幸せがひとつ逃げるという迷信をふと思い出して、口を押さえる。
自分の幸せなんかどうでもいい。
それでも、今自分が切に願っていることが太一のためになることなのだから今は失ってはいけない。
そろそろ起きないと朝練には遅刻するであろう。ヤマトは太一を蹴り飛ばして起こした。

「ほら弁当」

朝食をかきこむように食べている太一の前にさきほどつめた弁当を乱暴においた。

「一人で食うの嫌だったら俺んとここいよ」

ヤマトの優しさに胸を痛ませながら太一は礼をいい、いつもどおり朝練に飛んでいった。
そんな太一をベランダから見送ったあと、
ヤマトは中学に入って買ったばかりのケータイを取り出し、自分の父親の名前をみつける。

「もしもし、親父?」

ヤマトの父、裕明はフジテレビのプロデューサーだ。
そのため、家にかえってくることなどほとんどない。
ヤマトが家事がうまいのはこのせいだ。
そして離婚の原因もおそらくこの忙しすぎる職種のためだろう。
今では母、奈津子と二人で会っている噂も聞くが、再婚にはまだ遠いであろう。
電話口の向うで眠そうな父親の声がきこえる。

『どうしたヤマト』
「あのさ、突然で悪いんだけどメイクの橋本さんにアポとれね?」
『いきなりなんだ?学校でなんかあるのか?』
「ああ、すっげえ大切な事があるんだ」

息子の真剣な声に眠そうだった父親も話に耳をかたむける気になったらしく、今日の午後からのアポをとってくれた。
こういう時にテレビ局にツテがあると楽だとヤマトは微笑む。
いつもはもっと遅くてもいいのだが、ヤマトには用があったためいつものベースはおきざりにして、学校へとむかう。
綺麗な金をひるがえして、重い青のなか、彼はなにを思ったか。










「ってことだから」
「ま、俺もどうしようか思ってたからさ、石田ありがと」

ヤマトが向かった先は生徒会室。
朝練にでられない羽賀ならば生徒会にきているだろうと踏んだヤマトは昨日の事をかいつまんではなすと、自分がこれからしようとしていることを全てはなした。

「てことだから面白くはならないぜ」
「さぁどおかな?」

いつもグランドを駆け回る元気で明るい少年の羽賀が、生徒会の椅子にすわっているだけで大きくみえた。
これが権力というものなんだなと感じながら、それには屈服しないように、ヤマトは用意してもらいたいものリストを羽賀に渡して生徒会室に背を向けた。
ヤマトの背をみた羽賀は先輩達に向かって言い放つ。

「どうですか?今回のゲスト、息をのむ美しさでしょ」

容姿も、心も―――。










「おーい、アキラ」

めがねをかけ、キーボードを弾いていた少年が顔をあげる。
ヘッドフォンをとり、ヤマトににっこりと笑いかける彼はヤマトのバンドのリーダーだ。

「どうしたー?」

その走り寄りかたに昔の丈を思い出したヤマトは苦笑いを浮かべながら、アキラに紙切れを一枚渡した。

「わりぃんだけど明日までにそれ、用意してくれないか」
「全然いいぜ。なんに使うんだよ」

まさか抜け駆けしてどっかで一人ライブするのかよというアキラの頭を小突きながらヤマトは「あさって分かる」とだけ言った。
抜け駆けなどとんでもない。アキラもちゃかしているだけなのは分かっていた。
今まで一人で閉じこもっていた自分にこんな冗談が言える友達ができるようになったのは太一のおかげだなとヤマトはしみじみと思った。

「あ、俺今日の練習やすむな」
「んー、なんか俺わかったかも」

アキラはこうみえてとても勘がいい。だからヤマトがなにをしようとしているのかわかったのかもしれない。それ自体はヤマトも計算済みだ。
だから別に気付かれても動揺などしない。いつもの冷静な姿でアキラに手を振ってヤマトは教室へと足を向けた。










「ごちそっさん。ヤマト、弁当うまかったー」
「おそまつさまで」

空になった太一の分の弁当も自分の鞄に入れて今日の昼食を終える。
朝練では見事にパスが回ってこなかったり、片付けを一人でやらされたりしたらしくて、みてて痛々しくなるような傷があちこちについていた。
ヤマトはその傷を苦々しく思いながら、明後日の事を考えていた。
太一が救われる日がくることを。

「あ、今日俺んちくるんだったら俺遅くなるから勝手に入ってて」
「んー、わかったあ」

食べたから眠くなったのだろうか、ヤマトの机でうつらうつらし始めた。
6月の風を受けてふわふわと揺れる太一の髪にそっとふれてみる。
弟であるタケルにしているのと同じようにしているはずなのに、ヤマトの中にはそれとは違う気持ちを抱いた。
『この気持ち…なんだろ』
長くなってきた自分の前髪をふーっと息で吹き上げながら、ヤマトはこの事件が終わったら、太一がいつも笑顔でいてくれることを望んだ。










「久し振り、ヤマトくん」
「忙しいところすいません」

学校が終わってからその足でヤマトはテレビ局までむかう。
ついでに父親の着替えと夕飯もタッパーにつめて持っていくと、待っていたかのように橋本が出迎えてくれた。
礼を言うヤマトに、いいのよ〜という彼女の顔は父と同じようにやつれていた。
テレビ局には絶対就職したくないなとヤマトは心で呟きながら、メイク担当である橋本が用意してくれた大きなボックスを受け取った。

「取り合えずヤマトくんが必要としてるのは入ってるから」
「充分です、有難う御座います」

にっこりと笑うと橋本の頬が赤くなった。

「ヤマトくん、本気でテレビでない?」
「いや…俺興味ないんで」

きっぱりと断る彼に、母親である奈津子の影をみた橋本は彼が裕明との子なのだと実感じた。
少しだけ昔の呪縛に縛られながらも、橋本はいつもの笑顔でヤマトを見送った。
ヤマトは丁寧に頭をさげると、大きなボックスを持って太一が待っているであろう家へと足を向けた。











あれから2日。太一は家には帰らず、ずっとヤマトの側で過ごしていた。
太一への周りの態度はあれから悪化するばかりだ。
まるで珍しいおもちゃをみつけた子供のように、太一は周りにもてあそばれていた。
中学生といっても所詮小学生の延長だ。
ましてや自分達のように命をかけたことなどもなければ、本当の友情も勇気もしらない餓鬼なのだから。
もし、自分達もデジタルワールドにいっていなければあんな奴らと同じようになっていたのだろうか…。
ヤマトはそう思うと怖くなって、自分がいかに大切なものをあの世界で学んだかを痛いほど感じた。

今日の天気は雨。決戦にはふさわしい。
ヤマトは不敵な笑みを浮かべ、雨のおかげで朝練がなくなってほっとしている太一をみる。

「今日で3日だ」
「ああ、でもなんも変わんないよ」

諦めきっているのか太一の口調は優しかった。
それでも、ヤマトは自信たっぷりに「大丈夫だ」と言い放った。
銀の針が降るなか、金の盾は姿を現す










「前期予算委員会を終了します。続いて、総会に入る前に…」

今日の最後の授業は生徒総会だった。
いつもなら太一はめんどくさがってさぼっていたのだが、ヤマトが出ろというのだ。
そのくせ目立つ金はみんなの中になかった。
『なんだよあいつ…でろっていっといて』
体育館の隅で居心地悪そうに膝をかかえた太一はこの3日間のことを思い出す。
いつもなら「帰れ」というヤマトが太一を黙って家においてくれた。
おそらく母親にも連絡してくれたのだろう。太一のケータイには母親からの着信はなかった。
毎朝弁当も作ってくれて、周りから白い目で見られるのに太一と共に行動をして。
不謹慎だったが太一はすごく満たされた気分だった。
このままヤマトといられるのならもう誤解なんかとけなくていいかなと思ってしまうほどに、ヤマトの隣は暖かかった。
それは、昔デジタルワールドで感じた気持ちに似ていたが、まったく違うもので―――。
だから、今ここで誤解がとけてヤマトが隣にいなくなるのに嫌な気分がした。
この気持ちを…なんていうんだ?

「今日のゲストは―――」

太一が自分の中に潜む感情の名前をつけるのに悪戦苦闘していると、体育館の照明が落とされた。
毎月一回ある生徒総会では、一般生徒が一人、生徒会の推薦で選ばれ壇上に上がって好きな事を語ることが慣わしとなっている。
太一も5月の総会で壇上に立って、自分のサッカーにかける思いについて笑いを含ませながら語った覚えがある。
それでもこんな派手な演出はしなかった。
3年生でもでるのかなと思った顔をあげた太一の茶色の瞳に金の光が差し込んだ。





『てめえらよーくきけぇ!!』

会場全体が息をのむ。出て来た白い人物に目を奪われた。
金の髪に青の瞳、そして白衣をきた人物はスピーカーマイクを持って壇上のスポットを浴びていた。
女物である白衣をいともあっさりきこなし、その中世的な顔には化粧まで施されている。
紅い口紅が塗られた唇がひらくたび、会場の目と耳は彼へと集中される。

『知ってるだろーが、俺の名前は石田ヤマト!』

まるで乱暴者の天使。
太一は自分の知らないヤマトがいることに戸惑いを覚えながら、舞台の上をしっかりみていた。
そしてそれは太一だけではなく、他の生徒たち、教師たちも同じことで―――。

『そして俺の親友は八神太一!』

その瞬間会場がざわつく。太一へむけられる視線は痛い。
太一はそれでも、ヤマトをみつづけた。今の太一の世界には、自分とヤマトの二人きりだった。

『いまそいつがいわれもねえ誤解を受けている!』

「誤解だと?」「俺らはこの目でみたんだよ」というブーイングの声をヤマトが掻き消す。
ヤマトの声に縮こまった奴らに侮蔑の目を送りながら彼は続ける。

『てめえらよーく考えろ!太一がそんなことするやつか!』

ざわつく会場内には「そうだよな」「おかしいと思ったんだよ」という魔法が解けたかのような声が混じりはじめる。
それでもまだブーイングはとまらない。

『よってたかって餓鬼みてぇなイジメしやがってよォ…てめえら中学生だろォが!』
『本気でムカつくなら殴りにいけや!』
『てめぇらはただレギュラー欲しさに太一を貶めようとしてる蝿なんだよ!』

これはヤマトが事前に羽賀に調べてもらっていたこと。
サッカー部は大きい部活だ。そこでレギュラーをとるのは難しい。
羽賀や太一のように努力に努力を積み重ねないと表舞台などには立てない。
いつの時代でも、楽しておいしいところは頂こうとする蝿はいるものだ。
羽賀が怪我をしたのをいいことに太一も貶めて、自分達がレギュラーの座を頂こうとしていたのだ。
根も葉もないような噂をながされ、太一が孤立した裏にはこうゆう事情があった。
生徒も中学生といえども群れていないと歩けないような奴らばかりだ。だから噂を鵜呑みにしてしまったのだろう。
ヤマトは丁度生徒会の羽賀から頼まれていた「総会ゲスト」でそいつらを叩くことをあの夜決めた。大方見当はついていたからだ。
そして自分の登場にインパクトをつけるため、生徒全員が自分に注目することを可能にするため、
橋本からメイク道具をかり、アキラに頼んでスピーカーマイクと女物の白衣を調達した。
その前の日にテレビで女性歌手がこんな格好をしていて、インパクトがあるなあと思ったところだったから。
自分の外見が、まさかこんなところで役にたつとは思わなかったと鏡に向かって苦笑いをしたのは秘密だ。

『いーか!そんなに太一が気にくわねえなら正々堂々と勝負しろ!』
『俺の意見に不満があるやつ!今すぐでてこいや!相手してやるぞ!』

拳を握ったヤマトに対して、誰もでてくることはなく、会場は水をうったかのように静まり返った。
沈黙は、舞台裏の羽賀からの拍手によって破られた。
その拍手に続くかのように、体育館には喝采と拍手が響いた。
ヤマトは目の端に先ほどブーイングを飛ばしたサッカー部員が小さくなって外へ出て行くのが見た。

『太一、もう大丈夫だ』










そういわれても太一の目からは涙がとまらなかった。
嬉しかったからじゃない。
自分の気持ちに気付いてしまったから―――。


ヤマトのおかげでまた前の日常に戻れるのはわかっていた。
むしろ前よりずっと楽しくて、サッカーもいっぱいできるだろう。
それでも、もう自分の隣にヤマトはいなくなる。
太一はサッカー、ヤマトはバンド。家が目の前といえどすれ違いになることは必死。
壇上で輝くヤマトを閉じ込めておきたかった。
誰の目にも触れさせず、ずっと自分の側においておきたかった。
ヤマトの青に自分だけを映していて欲しかった。
ヤマトにとっての全てが太一であって欲しかったのだ。
ずっとヤマトの中で自分だけが特別だとうぬぼれていた。
でも、ヤマトにも新しい世界が開けていたのだ。
心の中でずっと叫び続けていた。

『いかないで、俺の隣にずっといて―――』


涙でにじんだ風景のなか、ヤマトが微笑んだ。
その笑みをけして他のやつなんかにみせたくなかったのに…。
太一の中で最後の砦が壊れた。
その刹那、この感情の名前がいままでなぜわからなかったか不思議になるくらいはっきりわかった。





『あぁ…、おれヤマトが好きなんだ』





醜くも美しい恋の華が咲いた。

空は銀をかき消すかのように澄んだ青が広がっていた―――。


→NEXT


2007/07/12


design by croix