■面影をみてくれれば幸いで
夜中に響いた電話で起こされたヤマトは秋の長い夜、ひとりでその音を聞いた。
眠い目を擦りながらもその音に呼応すると、父が泥酔してしまい送り届けるという用件だった。
一年前にヤマトが体験した信じがたい夏の冒険の中で
大きくかかわりを持った数少ない大人である自分の父はフジテレビの局員で結構いい地位を貰っているようだ。
その為、家を空ける事は多かったが、ここ一年自分の目の前で消えてしまった息子が帰ってきた事になにを思ったのか
きちんと一日に一度は家に戻るような努力をするようになっていた。
それでも、やはり仕事は忙しいのだろう。
ヴァンデモンにより一番被害をうけたのはフジテレビだといっても過言ではないのだから。
大きく崩壊した自分の職場に家庭にと必死の父は、一年かけてそれをようやく修復したのだから祝杯をあげずにはいられなかったのだろう。
どれだけはめをはずしたのか、ザルであるはずなのに泥酔してしまった父に呆れを感じながらもヤマトはそれを待つ。
電気をつけずにリビングの椅子に座ると、ヤマトを優しくみまもる月の光が影をいつもより長く伸ばした。
それに応えるかのようにふと微笑んだヤマトにチャイムの音が鳴らされた。
「遅くにごめんねー、大丈夫?」
「ご迷惑かけてすいません。橋本さんも気をつけて帰ってくださいね」
父、裕明の昔からの同期である橋本が一緒に飲んでいたのか彼を女手ひとつで抱えてやってきた。
ヤマトに彼を引き継ぐと、橋本は裕明に向けた心配とそれに少し隠された恋慕に胸を焼いて下で待たせていたタクシーで帰路へとついた。
酒の匂いを遠慮なくさせる裕明にヤマトは一瞬顔をしかめたが、引きずるように玄関へと投げ出す。
「ほら親父、水飲めるか?」
靴を脱がせてもともと用意していた水のはいったコップを横たわる裕明へと傾ける。
真っ赤な顔でむにゃむにゃ言葉にならない言葉を発していた裕明がそれに応えるように傾けられた水を喉へと通す。
ひとつ音をならしてとおった水に意識を少し取り戻したのか、裕明は細い眼をあけてヤマトをみつめた。
それに呆れたかのように溜息をこれみよがしに吐いたヤマトを視界にいれて
優しく
それは優しく裕明は微笑んだ。
「…親父?」
家族がばらばらになってから、こんな優しい笑みを見たことがなかったヤマトはうろたえ、裕明の事を呼ぶ。
裕明はきこえているのかきこえていないのか、その腕を伸ばしてヤマトの頬を優しく撫でた。
うろえたているヤマトに降りかかる、優しく残酷な台詞は、裕明の本音。
「帰ってきてくれたのか…奈津子…」
そのまま深い眠りへと落ちた裕明に降りかかる宝石はヤマトの目から溢れ零れたものだった。
進路を私立の中学へととるものはそろそろ本腰をいれているのか幼い教室のなかにはぴりぴりした空気がただよっていた。
その空気をつんざくかのように、太一はその太陽の笑みでヤマトの教室へとずかずかと踏み入る。
一年前は周囲のざわつきを背にうけていたが、もうそれもなくなり学校公認の「親友」となりつつあるヤマトに遠慮のない誘いをかけた。
いつも迷惑そうな体面をするヤマトだったが、意外とあっさりと承諾の返事をもらい、放課後太一はヤマトの家へと足を入れることを許された。
「どうしたんだよー」
トレードマークであるゴーグルをぱきんとはじきながら、太一は滅多にお目にかかれない素直なヤマトに対してたてた心臓の音を掻き消した。
「ちょっとな」
思わせぶりでひとりで考え込むところはけして変わったわけではなかったヤマトが憂いを含んだ笑みで
もうほぼ綺麗に直された外に目をむけると、クラスがほうと感嘆の声をあげる。
それに面白くないという表情を向けた太一だったが、親友の物憂げな顔に心配を重ねた。
あまりにしつこい太一に話すつもりでいたものもひっこんでしまいそうになった所に、チャイムが鳴ってそれを止めた。
「じゃあ放課後な」
太陽は光を振り撒いて去っていった。
その後を少し名残惜しそうに見送ったヤマトは窓の外へと視界を映す。
あの事件から一年。事件の名残もなくきれいに復興した観覧車は、今日も静かに回り続けていた。
残暑も今年は少なく、秋の少し冷たい風が開け放した窓から部屋へと入る。
その風にほてった頬を冷やした太一はヤマトが持ってきた麦茶をいっきに飲み干す。
腹を壊すぞ、というヤマトの忠告は右から左へと通り抜けた。
「で、どうしたんだよ」
太一が問いかけたヤマトはどこか元気がなく、それでもその青にはなにかを決心したかのような光が宿っていた。
ふと視線を落としたヤマトが自分のくせのある金をひっぱる。
ヤマトの髪は天然の金髪である。そして、それは中途半端な長さになると重力にさからうかのように癖がでるようだ。
髪をいじりながら、回り続ける観覧車を思い出してヤマトは昨夜した決意を太一へと打ち明ける。
「太一、俺、髪のばす」
思いつめたかのような口調で出て来た単純すぎてわからない言葉。
刹那、金の髪を揺らすヤマトが脳に浮かび、太一は頬にほてりを取り戻す。
ヤマトの側にあり、口をつけられてもいない麦茶をあわてて飲み干すと、理由をきく言葉を吐いた。
それに応えられたものはあまりに切なすぎて、太一は茶の瞳から光をなくした。
「親父が、母さんを必要としてるから」
裕明の中には今だに奈津子がいた。
それは、一年前に息子たちを思って繋いだ手が証明していた。
ヤマトの髪と目はフランスの血を引く奈津子からの贈り物だった。
昨夜、酔った裕明が自分の息子にみた奈津子の面影は、ヤマトに彼の心の奥深くに沈めた気持ちを知らせた。
「俺は母さんと似てるから」
「俺をみて母さん思い出してくれれば」
「それで親父がまた、母さんと一緒になってくれるなら…」
幼いながらも必死に大人に追いつこうとしていたヤマトでも、ひとつ屋根の下で家族が揃うのを夢みていなかったわけではない。
それを誰よりもよく知っている太一は、このヤマトの決心に胸を打たれた。
欲なんか数えるくらいしかないヤマトの心にひとつ大きくあるその気持ちに軽い嫉妬を覚えながらもその背中を押すのが、今の太一の役目。
「いいんじゃねーの」
「お前、長い髪似合うだろうしな」
わざと明るく笑った太一にヤマトがひとつ礼を述べた。
この時、何故それを承諾してしまったか後に後悔することになるとは太一はまだ知らない。
ただ、ふたりの間にある沈黙だけが温かかった。
2007/11/15