■西の魔女は死ぬ


既に陽は高く昇り、冬の暖かな日差しが大輔の重い瞼をひらかせた。
高校2年になってもあの頃の輝きを失いはしない印としてゴーグルをつけてリビングへと足を進める。
珍しく父親も仕事がないのかリビングでゆっくりしている所に朝の挨拶を交わして冷蔵庫から牛乳をパックから直接胃袋へと流し込む。
行儀が悪いといつも大輔を叱っていた姉はすでに大学生として家を出て行っている。
時々かえってくる彼女の姿に少しの嬉しさを感じる大輔は、昔ヤマトに姉の悪口を言ったことを今更ながら恥じた。
飲み干したパックを潰して捨てた息子をみて、父親が思い出したようにみていた新聞を置き声をかけた。

「大輔、高石さんのところの息子さんとは知り合いだよな」
「おう、高石さんだけじゃなくて石田さんのところともな」

父親が指す「高石さん」はタケルの母親、奈津子の事なのだと分かるともう一人の息子のヤマトを付け加えることを忘れない。
離れているからといってヤマトが奈津子の事を母親だと思っているわけないのだという事を痛いくらいにみてきていた大輔だから、
ここで奈津子になにかがあったのならばヤマトにも関係があると思って出した言葉だった。

「なら…、あのさ、息子さん達、なんか変じゃなかったか?」

歯切れの悪い父の質問に大輔は憧れのあの人と同じように、頭をばりばりとかきながら二本目の牛乳パックを開ける。

「タケルは昨日下で会ったけど変わりなかったし、ヤマトさんは横浜だしなー」

その答えにも父はまだ罰の悪そうな、歯切れのわるい答えをよこす。
父の態度にけして短気ではないが、知れるのに知れないことを苦しく思う大輔は少しきつい口調で父を問い詰める。
強い大輔の目を見ないように明後日の方向を向いた父は、その口から爆弾を投下させる。

「実は共通の上司から高石さんに見合い話を持ち込まれてな…止められなかった」




「親父っ!それいつだよ!」

父の事をいつまでも自分の心に焼きついて離れないあの綺麗な人のように「親父」と呼び、大輔は父へと恐ろしい剣幕で詰め寄る。
タケルとヤマトの家の事情はよくしっていた父だったからこそ、ここで見合い話を止めてあげられなかったのを後悔しているのだろう。
奈津子がそれを受けるとは思わないが、上からの指示なら何が起こるかわからない。
会うだけは必ずするだろう。
そして、タケルもヤマトも知らないところで最悪な結末へと転がっていくことだけは避けたかった。

「おそらく、明日には料亭で…」

父の言葉を全て聞き届けることはなく、大輔はパジャマ姿のままジャンパーを羽織り、とったばかりの原付でレインボーブリッジを駆け登った。










大きな道路からは路地3本ほど離れた所にあるそのマンションの5階までエレベーターを使わずいっきにかけあがる。
さすがに息をあげた大輔はその1番端の1号室へ走りだす前に肺の空気を新しいものへと一新させる。
すぐに落ち着いた呼吸はさすがスポーツマンといえるもので、その自慢の足で端まで走る。
そしてその部屋の表札にまだ大輔の心はあの雨の中に置き去りのままな事を知らされる。
それでも、この扉の向うの人たちが大好きな気持ちは変わりがないことには自信があるため、その部屋のチャイムを鳴らしてドアを叩く。

「ヤマトさん!ヤマトさん!起きてますかー!」

近所迷惑も甚だしいが、その騒音は効果絶大だったようで、ほどなくして怒りをはらんだ青を目にした金の彼が姿を現した。
その彼、ヤマトのパジャマの上しか着ていないその姿は目に毒だと直視をしないよう気をつけながらも大輔は大事な話がある、部屋に入れてくれと懇願する。
無言で奥を指した彼に押されるがまま、その部屋にはいるとそこには魔王が待っていた。

「お前、俺らの朝を邪魔するたぁいい身分だな、おい」

顔に憤りの笑みを浮かべ、血管を浮きだたせて全身全霊かけて大輔に圧力をかけるその魔王は、ヤマトのパジャマのズボンだけをはいた姿で出迎えた太一だった。
今日が土曜日なのと、表札に掲げられていた2つの名前が意味する所を思い出した大輔は頭を深く下げる。

「すいませんでしたっ!でも、まじやべーんでっ」
「あー…もーいいよ…」

あくびをひとつかみ殺し、ヤマトが玄関の鍵をしめてリビングへとはいってきた。
朝のコーヒーをいつものふたつに大輔のひとつを追加し、ヤマトは太一の頭を撫でた。
明らかに太一の方が高くなってしまった身長で、その行為は苦労しただろうが太一はそれに満足して大輔に椅子をすすめる。

「で、話って?」
「あの…いいにくいのですが…」

改まってヤマトを前にするとどうしてか敬語になってしまった自分に喝をひとついれ、大輔はその輝きを失わない瞳で彼らを真っ直ぐにみる。

「ヤマトさんの…お母さんが…オレの親父のせいで…見合いするって…」

言うが早いか、大輔にふたりのパジャマが舞い降りた。
着がえて車の鍵を持ったヤマトの手からそれを太一が奪う。

「今のお前じゃ事故る。俺が運転するから」
「…頼む」

素直に鍵を太一に渡したヤマトは大輔と共に後部座席へと乗り、ケータイから自分の父親の電話番号を押す。
7回目のコールでやっとでた眠そうな裕明に喝をひとついれると、一時間後に面会を設定させて回線を切った。

「タケルには言ってあるのか」
「いえ、まだです」
「太一、タケルを拾ってくれ」

了解、という太一のひとことを最後に車内に言葉が交わされる事はなく、大輔はレインボーブリッジへと戻ってきた。











きっちり一時間後、フジテレビをなれた顔であるくヤマトの先に裕明は仕事でこけた頬を隠そうともせずに現れた。
しばらく会わなかった息子と交わすお決まりの言葉をいくつか飛び交わしてから、ヤマトとタケルが裕明の前へと座る。
太一と大輔にひとこと断ってからマルボロの赤に火をつけた裕明をみて、ヤマトもポケットをさぐりマルボロの金を口にする。
それぞれが吐いた紫煙が絡み合い、親子の絆を思わせた。

「話さなきゃならないことがある」
「そりゃ、お前がここまで尋ねてくるくらいだからな」

苦い笑いを浮かべた裕明をヤマトの青は放さない。


「母さんが、見合いをする」


刹那、裕明の口からまだたっぷりと吸えるそれがおちた。
落ちた音などしないはずなのに、フロア全体にやけにそれは響いた。

「奈津子も美人だからな…仕方ないさ」
「仕方ないだと?母さんと上手くいってたじゃないかよ!」

ヤマトが一人暮らしをはじめてからというもの、裕明を心配して時々タッパーの差し入れを運ぶ奈津子の姿は多数目撃されている。
タケルにも裕明の事を話すことがあるらしく、その時の彼女の表情は恋を知ったばかりの少女のように晴れ晴れとしていた。
裕明だってもともと嫌いで別れたわけではない。
ヤマトは一緒に住んでいた頃、玄関で酔いつぶれて倒れてしまった父が呟く名前がきまって奈津子のものだったことを知っていた。
もしかしたら、また石田の下に家族がひとつになるのかもしれないとタケルと予想できなかった明るい未来を話すこともあった。
だからこそ、ここが最後のチャンスなのだ。

「母さんのこと、好きなんだろ」
「ヤマト、お前ももう大学生だからわかるだろう」

自分達はもう恋や愛だのという甘い記憶でつながれたものではないという裕明の主張は確かに正しかった。
そんなふたりの関係を意地になってまで愛だの恋だのにつなげるくらいヤマトも子供ではない。
それでも、なにか深く甘いもので繋がっているのは本人たちにだってわかっているはずなのにそれに向き合おうとしていない。
デジタルワールドにいくまえのヤマトの影をそれにみて、やはり2人は親子なのだと太一は変に納得した。
時間だから、と灰皿に煙草をおしつけて火を消すと裕明は柱にひとつぶつかって社員入り口へと消えていった。










「父さんあんなに動揺してんなら迎えにいけばいいのに」

重い気持ちのままヤマトの家に戻ってきたはいいが、ふたりの怒りは大きかった。
シンプルな丸いクッションをさっきからぼこぼこに殴っているタケルが荒い息で吐く。
台所では「炒飯作る」という名目の上、ヤマトが恐ろしい勢いで玉葱を刻んでいる。
その兄弟をみて、大輔は自分の父親がしてしまった事に改めて罪の意識を感じた。

「なあタケル」

3年前にあった事の名残はあろうとも、いまでも仲のいい兄弟の兄であるヤマトが玉葱を切る手をとめ、弟のタケルへと声をかけた。

「おそらく、僕も兄さんと同じこと考えた」

クッションを大輔に思いっきり投げつけたあと、にっこりと不敵な笑みをうかべてヤマトの耳にシンクロした思いを告げる。
ヤマトよりも成長したその高い背を屈めて告げられたそれに、ヤマトはにやりと悪い笑みを浮かべ、太一を呼ぶ。

「俺が喧嘩強いのは知ってるな」
「ああ」
「そして、俺はやっぱり親父には母さんしかいないと思う」
「ああ」

太一は、ヤマトから発せられる言葉に力強く頷く。

「だからな、太一…」

艶かしく告げられたそれに、太一は叫びをあげる。
叫びは空には届かずにヤマトの唇によって消えた。











かこん、とひとつ庭園に音が響く。
日曜日の午前10時。奈津子はあまり着る事のない着物を着て料亭の座敷に足を組んでいた。
入社当初から世話になっていた得意先の上司の頼みという事もあって断れずにこの席についたが、奈津子は全然乗り気ではない。
もともと40も後半のバツイチで高校生の子供もいる女に見合いなど常識はずれだ。
それに、自分の心の奥深くには裕明しか入って来れないこともようやく自覚してきたところだった。
だからといって奈津子の性格上、素直にそれを裕明に告げるつもりはないが、他の男を隣に置く気はそれ以上にない。
堅苦しい着物に胸を圧迫させ、はぁとひとつ疲れた息をはいた。

「本当に美しい」

目の前の若社長だという30代前半の男は奈津子をしきりに褒めちぎった。
鋭い目と策略を張り巡らしているかのような口元に奈津子は余計に疲れを感じながらも仕事用の笑顔を送る。

「どう、奈津子さん?そろそろ自分の幸せを考えなさいな」

いつもにこにことしていて、人を疑うことなど知らないようなその老婦人は強引にでもこの縁談をまとめようとしているのが見て取れた。
「自分の幸せ」と言われて刹那、奈津子は裕明がいて、ヤマトがいて、タケルがいる、そういう家族がひとつ屋根のしたで暮らすヴィジョンを映し出した。
自分の気持ちをはっきりと、深く知らされたことに軽い眩暈を感じながらも、断りの返事を返そうとしたその時。



「御用改めっ!」

ばたばたと長い廊下を走る音がしたかと思えば、奈津子がいる座敷に姿を現したのは
きらびやかな女着物に身を包ませた自分と裕明の長子、ヤマトだった。
そしてその後からタケル、太一、大輔と続く。

「ヤマト、何して…」

乱れた裾を手で整え、ヤマトはけして品がいいとは言えない歩きで奈津子へ近づく。
いきなり乱入してきた事に叱る奈津子の事などおかまいなしに、その息子はその金をなびかせて隣に音を立てて座る。
そして、相手の男に冷たく妖艶な視線をおくり、ひとつ笑う。

「おい、お前…」

ヤマトが言葉をつむいだその刹那。



「奈津子っ!」



よれよれのワイシャツ、こけた頬、染みがついたズボンという「らしい」身なりで裕明が息荒く乱入した。
けしてこの場には相応しくない、それでも、一番この場が欲していた身なりで。

「あなた…」

奈津子だけでなく、ヤマトも、タケルも太一も大輔も、目の前の裕明に驚きは隠せなかった。
そして裕明はおもむろに着物の奈津子を肩にかつぐと座敷からの逃亡を完成させた。
突然の出来事に我を一番に取り戻したのは、意外にも彼らと血の繋がったヤマトだった。
目の前でぼーっとしている見合い相手に繋がった血を明白にする青を向けて、綺麗に笑う。


「母さんには親父がいるんだ。悪いな。狙うなら、俺にしとけ」


その笑みと、言葉は相手の心のど真ん中を貫く。


「以上撤退!」


太一の声に着物を翻してヤマトは大輔とタケルを従えて姿を消した。
その後ろ姿を目で追う残った相手に太一は近づき、耳元で魔王の囁きを贈る。

「あれ、俺のだから。勝負はいつでもうけるけど、手ぇ出したらあんた殺すよ」

赤くのぼせ上がったその顔は、みるみるうちに青にかわり、太一の拳ひとつで倒れた。
それをみて、いたずらが成功したかのような子供の笑みを浮かべ、太一もヤマトの後に続いた。










恥ずかしいからおろして、という奈津子の言葉に裕明は近くの公園のブランコに彼女を下ろした。
若き頃、奈津子が裕明と公園にいくとブランコに好んで乗っていたことを忘れられなかったのだろう。
きぃと懐かしい音を出すその乗り物は、彼女の気持ちを少し素直にさせた。

「どうして…きたの」

もうひとつ、ブランコが出した昔は彼の気持ちをあらわにした。

「お前が、必要だからだ…」

若い頃のようには激しくなく、それでも優しく奈津子を抱きしめた裕明の肩から、いつも彼が吸っているマルボロの匂いがした。
その懐かしい匂いに奈津子は自分が作り上げた壁が崩壊する音をきいた。
見合いに間に合わせるよう仕事を前倒しにしたためか、疲労を隠せない裕明の背中に腕を回すと、その温かさが自然に思えた。
12年ぶりにかわされたそれは穏やかに、ふたりを繋いだ。


2007/10/07


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