■きスぁんドくらィ


無機質な画面にいっぱいに広がった明るく元気な文字を再びみて、光子郎は溜息をついた。
その溜息はいつもの彼のものと違い、少し艶かしい憂いを帯びたものだった。
いつも通りそのメールに保護をかけ、携帯のスケジュール帳の4月2日に重要を意味する印をつけた。
その後、いつもなら時間などいくらあっても足りないくらいにたくさんの調べ物をしたり、ホームページを管理したりするはずなのだが、
今日はメールボックスを閉じると直ぐにシャットダウン作業へとうつった。
なれた手つきではあるが、その顔には不機嫌とも不安ともとれないような表情がへばりついていた。
今日は、中学校の卒業式から早くも2週間がすぎた3月25日。
今年は早咲きだといわれている桜は散るほうへと進みつつある、春。
4月から情報系にたけている高校の生徒となる光子郎は、春とは正反対の憂いを含んだ顔をして、席を立つ。
いつも持ち歩いているパソコンもそのままに、携帯だけポケットに忍び込ませて母へ一言声をかけると桜色の吹雪のなかに足を踏み出した。










桜色の中にきらりと光るものをみつけると、光子郎は無意識のうちに歩みを早くする。
光を放った金の隣には光子郎の赤茶色のそれとは正反対の自由奔放な茶色があって、心を安心させる要因となる。
光子郎よりも一足速く高校生となっていたヤマトと太一は相変わらずふたりでともに歩んでいた。
高校は違えどお互いが唯一無二のその存在に光子郎は憧れににた思慕のベクトルを向けていた。

「よォ、光子郎」

白い歯を出し笑いかける太一と金を靡かせて微笑むヤマトに一礼すると、光子郎は隣についた。
ゆるゆると歩き出した3人の上に桜は舞い、太陽が光を投げかけた。



「なに悩んでんだよ」

近くのファミレスに入り、おのおの昼食を注文した後に太一が光子郎に瞳を向けた。
さきほどのことは一言も言っていなかった光子郎は一瞬驚いた顔はしたが、
いつもリーダー格であった太一が自分の思っていることなどわかるのは当然だと思って大きく息をはいた。
そして、携帯のスケジュール帳をひらくと4月の画面へと変化させる。
大きく赤い丸がついた2日に目を向けた太一とヤマトはそれを指さして光子郎へと目を戻した。

「この日に…ミミさんが戻ってくるんですよ」

ミミは光子郎と同い年のかわいらしい選ばれし子どものひとりだ。
あの冒険というには過酷すぎるアドベンチャーの中で正反対の性格であったふたりは仲間となることになった。
そして、いつの間にか光子郎は自分の好意のベクトルが彼女に向かっていることを自覚することになった。
中学生のころからアメリカへと渡ってしまった彼女だったが、メールやチャットなどでおそらく光子郎が一番連絡をとりあっている仲となっていた。
たまの休みには日本に帰ってきたりもしていて、夏の記念日などは大体彼女も交えて集まることができたくらいだ。
仲のいい光子郎だったが、特定のボーイフレンドの存在をきいたこともなければ、恋愛話になったことすら数少ない。
ミミのベクトルが果たして誰に向かっているのかなど、いくら光子郎の情報をもってもわかることなどなかった。
それでも適当な距離があったから、その「わからない」感情はその程度でとどまっていられた。

「でも、帰ってこられたら僕は「わからない」のが「怖い」んです」

言葉にするのも、行動に移すのも苦手分野である光子郎にとってそれは遠まわしな嫉妬であった。
ミミは可愛い。そして、気さくで誰とでもすぐに打ち解けてしまう。
それが彼女の特質でもあったが、光子郎はそれを間近にみて我慢できるほどのヤワな恋をしているわけではないのだ。
それはずっと彼をみてきた太一やヤマトもわかることで。

「なあ…、もう告白しちまえよ。そうすりゃミミちゃんが誰を想っているのかもわかるさ」

ドリンクバーからとってきたコーラをひとくちすすると、太一が思いつめたかのように言葉をつむいだ。
その言葉に光子郎は否定の意味で頭をふる。

「僕は…ミミさんと話せればいいんです。このままで…いいんですよ」

積み上げてきたものを壊すのが怖い。大きな壁の前に足がすくむ。
ヤマトはそれに同意するかのように頷くと、光子郎に眉を下げた微笑みをむける。

「その気持ちは、よくわかるよ」

足を踏み出す時に恐れることはヤマトが一番経験してきたことだった。
その時に、ヤマトには太一が、ガブモンが側にいてくれたからできたことで、
光子郎の問題はあくまで彼がひとりで頑張らなくてはいけない問題だったから、ヤマトは頷いたのだ。
それでも、その恐れを振り切って欲しいと思う気持ちは太一と同様で。

「でもさ、ミミちゃんだぜ」

たとえ最悪な結果に終わっても、けしていまの友人関係がなくなるわけではない。
ミミという人物だから余計にそうだと太一たちは理解している。
そして、確信がないから言わないだけだが太一もヤマトも、ミミのベクトルが光子郎に随分前から、
そう、光子郎が自分の向けるそれに気付くまえから向かっていることは感じていたからここで一歩を踏み出してほしいと切に願っている。
それでも光子郎の性格はよく知っていたため、ここで強く押せるほど無責任にはなれないのだ。

「とにかく、2日には成田に迎えにいきます。それだけです」

不自然に話を終わらせた光子郎はその前日にあるヤマトのライブについて、もっと不自然に語り始めた。
太一が口にした炭酸の抜けたコーラは不味く、後味の悪いものになっていた。










今日日、嘘など誰もつかない4月1日。
太陽が昇りつめたはずなのに寝ぼけ眼の光子郎の家に音沙汰もなく太一が乗り込んできた。
いつもは隣にある金は今日はいないようで、光子郎の心は少しざわついた。

「ヤマトのライブみにいこーぜ」

その言葉に驚きを隠せない光子郎は最近ではあまりしなくなった「焦る」ことをしてしまった。
太一はこう見えて独占欲が人一倍強い。しかし、それを抑える術も人より長けている。
そのため不特定多数の女子に騒がれるヤマトをみるのを極力控えているのだ。
直前や直後の楽屋に差し入れをする姿は当たり前というくらいに目撃されているのだが、その最中に彼の姿を見付けることは至難の業だ。
だから何故その場に彼が行こうとするのか光子郎は理解に難をなしたが、ひっぱられるようにその会場へと足を進めた。





スポットを浴びたヤマトの髪が一層まばゆい光を放ち、それに魅了される女性の黄色い歓声。
横の太一の眉間の皺を気にしながらも光子郎は美人だと素直に思った。
しかし、光子郎の想い人であるかわいらしいあの子への気持ちの違いは明白だった。
本来ならこれだけ綺麗な人の近くにいて、遠くのあの子を求める気持ちなど分からないと自分でも思う。
案外自分の近くに女性も多く、バレンタインデーにはそれなりに贈り物だって貰ってきた。
それでも、遠くのあの子以外に自分のベクトルが向くのは有り得ないというのが光子郎中での常識だった。
それが恋のなせる常識ハズレのことなのだと、頭の片隅で理解した。
これから彼女の隣に並ぶ男は自分よりも数段カッコよく、数段優しい人なのだろう。
それは光子郎の隣にいる太一のような人物で、ミミもおそらく彼が理想の人なのだ。
ミミの心の中に太一とヤマトが占める容量は普通に考えて大きかったからだ。
それでも、どんなに傷ついても彼女の側で一番の友人としていたいと光子郎は痛む胸を押さえて自分の恋心を隠そうとしていた。
舞台も終盤に差し迫ったその刹那。
ヤマトがベースを降ろし、マイクをスタンドに立てた。
ヤマトがほどんどの曲を書いているのだから彼がベースをおろすことは稀にも稀である。
それは音作りをしてきた光子郎がよくわかっていることだったから、舞台へと目が釘付けになる。
横の太一をみると、その口元が弧を描いていた。

「よーくみてろ、光子郎。そして、有り難く聴いてろ」

メンバー達にアイコンタクトをしたヤマトが、すぅと一息空気をいれかえマイクへと向かう。
最初はライブにきてくれてのお礼―ここで女性が歓声をあげ、太一の眉間により一層深い皺がよった。
そして次回の事と高校になってからの活動について簡潔に述べたあと、青い瞳をきらりと光らせ、色っぽい視線をむけた。


「カヴァーで悪いんだけど、勇気と友情をお前に」


ドラムが激しい音を鳴らしたあと、一瞬の静寂とスローテンポのリズムが続く。
有名どころも有名どころ。光子郎もよく知っているその新作の曲をいつもの歌い方より艶かしくヤマトはくちにする。
ベースをおろしたのはその歌詞に思いを乗せるため。
光子郎はその歌詞を知らず知らずのうちに自分に向けていると理解するとこれ以上ないくらいに集中して歌に聴き惚れる。


「『あなたの笑顔がぼくの心にクリティカルヒット』」


刹那、ミミの笑顔が頭に浮かぶ。どくんと大きく跳ねた胸をとまるはずがないのに手で押さえる。


「『守ってばかりいたってさびしいじゃない』」


一週間ほど前、自分が言った言葉がよみがえる。
関係を壊したくなくて本心を告げないように決断したその言葉は今の今まで光子郎をがんじがらめにしていた。
その鎖が音をたてて落ちていく。


「『もっと勇気出して もっと本気見せて』」


デジタルワールドにいた頃はいつだって本気であったし、勇気もだせた。
それがなぜ、ミミの事になるとこんなにも保守的にしかなれないのか。
自分のふがいなさに涙が出そうになったが、それ以上にヤマトと太一の友情に涙がこらえられなかった。
ヤマトのライブ会場に連れてきてくれた太一は光子郎にこの歌を聞かせたかったのだろう。
案を出したのは太一だろう。そして本番直前だというのにメンバーにも無理をいってこの歌を最後にいれたのはヤマトの決断。
この大きな会場にたったひとり、自分のためだけにこの歌をふたりで贈ってくれた。
今日の光子郎が明日は別人になれるように。

「太一さん、ありがとうございます」
「ま、俺がヤマトの本番みた事には感謝しなきゃだな、そしてその後のヤマトの体へも」

一瞬ヤマトの体調を危惧し、明日1日は起きられないだろうと溜息をはいた光子郎はそれでも手にいれなくてはいけないものがあることを心に強く刻んだ。
男性にしては通る澄んだその声は曲の雰囲気とも合い、ヤマトのバンドのイメージも一変させた。
この日のヤマトのライブはのちに語り草となり、女性アーティストのカヴァー曲をやるのは恒例となったのは後の話。
そして、ヤマトが1日では足りず、3日熱を出すはめになったことも。











青空に大きく翼を広げたそれが成田へと降り立った。
ゲートの前で待っていた光子郎に茶のウェーブをかけた髪を翻してミミが小走りに寄ってきた。
ミミはアメリカにいってから会うたびに違った髪の色をしていたが、ディアボロモンが再びお台場に現れたあの時から茶であることを変えることをしなくなった。
素直に可愛いと高鳴る胸を落ち着かせるために息を吸った光子郎は、ミミに差し出された大きな荷物を苦笑いをして受け取り、隣へと並ぶ。
疲れているであろうミミに喫茶店を指さすと、はじけた笑顔で「おごりね」と言って先に入っていった。
緑色のクリームソーダを頼んだミミは先ほど以上の笑顔でアイスクリームを掬う。
ころころと変わる表情を愛しいと思った光子郎は優しい、それはそれは優しい笑みを彼女に向けた。

「どうしちゃったの?光子郎」

あまりに大人びたその笑みに驚いたミミは食べようとしていたさくらんぼを再び緑の中に落とした。
なんでもないですよ、と光子郎は首を静かにふるとミミの茶の瞳をみつめた。
とくん、とひとつときめきを知らせた。
ヤマトと太一の友情と勇気を思い出し、光子郎は声をだす。



「ミミさん、あなたの事が好きです」



ミミの涙が一滴、さくらんぼの赤をつたい、緑にとけた。


2007/09/06


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