■喧嘩と電話とケーキと


家に入れば人の気配がなかった。
息子は帰ってきているはずだった。
いつもきちんと二人分の夕飯を作って自分の分は机のうえにおいてあるはずなのに、
今日おいてあったのはカップラーメンだった。

「ヤマト?」

息子の部屋をノックしてみるが反応はない。
そーっと扉をあけてみると、愛用のベースと学生服がなかった。
原因はわかっている。昨日の喧嘩ともいえないような言いあいのせいだ。
どこにいったのか検討はついている。


でも、迎えにいく一歩はいつまでたっても踏み出せない。





「じゃんじゃん食べてねー」

裕子はうきうきとして台所から新しい肉をもってきた。
大きなホットプレートの上に食べきれないくらい多い肉がひしめいている。
机を囲む人数は裕子をいれて5人。
ヒカリ、太一、父親の進。そしてヤマトだった。
金の髪をした彼は遠慮しながらもおいしそうにホットプレートの上の肉をつついている。
その姿は太一と対照的にとても行儀がよく、よく出来た子だと裕子と進は思った。

「すいません、食事ご馳走になっちゃって…」
「いいのよー、てかヤマトくんだったら大歓迎!」

裕子はヤマトが大好きだ。
泊まりにくると分かれば今晩のおかずを秋刀魚から彼の大好きな焼肉に変えてしまうくらい大好きだ。
父子家庭の中でもきちんと家事をこなし、監視者であるものがいないはずなのに危ないことにはけして手を出さない真っ直ぐさ。
それでも、自分の身を投げ出してまで友達は救おうとする熱い友情。
そんな金髪碧眼の美人な彼がなぜ自分の息子と親友になれたのかいつも不思議に思った。
デジタルワールドの事件がなければ絶対合わない性格であろう二人だったからだ。
それなのに、あの小五の夏から太一は暇さえあればヤマトの家に入り浸りで帰ってこない日も多かった。
母として、自分の家にいるより外にいる時間が長いのはとめるべきなのだろうが相手がヤマトだから許したのだ。
それはヤマトを強く信頼している証拠。
以前、ヒカリにつれられて彼のバンドのライブをみにいったこともある。
その時、まるでヤマトの母親のように、この子はようやく自分の思いを吐き出せる場所をみつけたのだと思って安心したのを覚えいてる。

「ヤマトさん、あとで私の宿題みて。お兄ちゃんじゃ頼りにならないから」
「ああ、いいぞ。太一よりはマシだと思うしな」
「おいヤマト、喧嘩うってんのかよ」

笑いあいながらお互いを罵る光景は裕子にとってみなれたもので。
それでも裕子は何故、今日ここにヤマトがいるのか大体検討がついていたため、二人の目を盗んで電話をかけにでた。



『はい、石田です。』

何回かのコールのあとにでた人物の口調は仕事時のそれとさほど変わりないように思えた。
裕子は丁寧に時間的に相応しい挨拶と名前を告げると、「ヤマトくんがきてますよ」と静かにいった。

『すいません…迷惑かけちゃって…』

まったくこの男は、自分の息子だというのに不安ではなかったのだろうかと思うくらい落ち着いた声。
裕子はそれでも落ち着いて「今日はこちらに泊まるようですから」と告げた。
電話の向うからは再度謝る声。裕子は謝ることをしてもらいたいのではないと叫ぶ心を必死に抑えた。

『あいつは家事はなんでもできるから…どうか使ってやって下さい』

石田のその言葉に裕子は頭が真っ白になった。そして同時にふとたずねてみた。

「あなたは、ヤマトくんが大切じゃないんですか?」

一瞬息をのむような音がすると、はあと息を吐き出した音がその後すぐにした。
そして、予想もしなかった暗い深い世界へと裕子は足を踏み入れる。

『心配ですし大切です。それでも、あいつは私がいなくても大丈夫に育ってしまった。むしろ私があいつなしじゃ生きられないくらいに』
『だから、飛び出されても追いかけられない、叱れない。』
『悪いのは私なのですから』

反面教師なんですよ。と自嘲したかのような口調でいう石田に裕子は必死に言う。

「ヤマトくんは…本当にいい子です。ほんと太一のお嫁に欲しいくらい」

すると石田は電話の向うで明るく笑った。

『それなら宅の太一くんは明るくて元気でいい子だよ。ヤマトの婿に欲しいくらいだ』

ヤマトくんは男の子ですよ?と自分がヤマトを「嫁」呼ばわりしたのを棚にあげて石田を笑ったが、石田はしんみりとした口調でこう続けた。

『ヤマトは家事はなんでもできる…主婦、いや、それ以上にね…』

いつか本当に嫁にいってしまうのではないかって今から目頭押さえる準備をしている所ですと冗談のように言った彼の口調は寂しかった。
裕子はさとった。なぜヤマトと太一が親友になれたのか。
太一のように相手の領域に遠慮なくはいっていけるタイプでないとヤマトは心を開けなかったから。
なぜ太一がヤマトの家に毎日のように泊まっていたか。
けして一人が好きなわけではないヤマトに、これ以上寂しい思いをさせないために。

「とりあえず今夜はこちらで様子をみます。石田さん、ヤマトくんをあんなに真っ直ぐ育てられる貴方はいい父親ですよ。自信を持ってくださいね」
『ヤマトは勝手に育ってくれたんだよ。とりあえず、今晩は宜しくお願いします』

最後まで寂しそうだった石田は、それから直ぐに電話をきる音がした。
裕子は溜息をついて、リビングへ戻ろうとしたが、目の前に自分の息子がいることに驚いた。

「太一、あんたどうして」
「おじさんに電話してたんだろ」

なぜこうゆう時に鋭いのか。自分の息子ながら扱いづらい。
それでも「そうよ、だって人の子を借りるわけですからね」という裕子の目は真っ直ぐだった。
太一もそれはわかっていて、ひとつ頷くとひとの悪い笑みを浮かべて「それより母さん」と裕子をみおろす。
中学にあがってからめきめきと伸びた彼は、いまでは母親である自分を追い抜いてしまった。

「ヤマトを俺の嫁に欲しいって?」

一体いつからいたんだか。さっきの会話を全て聞かれていたのだろう。
はあとまた溜息をついた裕子は悪びれもせず答える。

「だってヤマトくんくらい素直で美人なお嫁さん欲しくないわけないじゃない。あんたには勿体ないけどね」

くくくとお腹をねじって笑う太一に自信満々にヤマトがいかに素直ないいこかを語って聞かせる。
そして最後に「太一もあれくらいになりなさい」と叱った。

「無理無理、てか俺だってヤマトに面倒みてもらってるみたいなもんだし」
「そうよねえ、ちょっと高望みしすぎたわ」

あははと親子で顔を見合わせて笑う。そして裕子は思う。
ヤマトは確かに素晴らしい子だ。それでも、太一はそれに負けないくらいいい子に育ってくれたと感謝する。

「母さん、今ヤマトがお手製のケーキ作ってくれてるんだ。今夜のお礼だってさ」
「まあ、早くいって味みなきゃ。なんせヤマトくんの料理はおいしーもの」

うきうきとリビングへと向かう裕子を太一は「なあ、母さん」と呼び止めた。
その声の真剣さに裕子は足をとめ、太一のほうをみる。



「おれもさ、ヤマトに嫁にきてもらいたいなーって思ってる」

頬を朱に染めて、手に汗かいて、母には顔むけできないのか少し視線はそらしたままで。
本当に石田さんは泣くはめになりそうね、とまるで人事のように思いながら裕子は太一の側に一歩近づく。
途端、太一の体がびくっと震えた気がした。

「なに怯えてんのよ、太一。堂々と胸を張ってなさいよ。」

柔らかく、優しく、太一の頭をなでた。
それをするには自分は背伸びをしなければならなかったが。
太一の目からぽろぽろと涙が落ちる。

「ごめ…母さん、でもさ、俺…」
「わかってるわ」
「孫とか期待しないで…、でも、ほんとに…俺…ヤマトが…」

優しい子に育ってくれた。親の気持ちをきちんと考えてくれるいい子に育ってくれた。
そして、そんな息子がただ唯一これまでも、これからも愛していくと誓った相手がお向かいの男の子だっただけなのだ。
そしてそのお向かいの男の子は素直な美人で寂しい…そしていい子。

「ヤマトくんなら大歓迎」

にっこりと笑って裕子は太一を元気付けた。

「てかヤマトくんいれば孫なんていいわ。ヒカリもいるしね」

孫の顔をみたいという気持ちはあるけれども、それ以上に太一が信じた道ならそれを後押ししたいと思ったのだ。
そして、自分の未来の息子の隣に、彼がいるのはけして不自然ではないと感じたから。

「ずっと…あの時から、ヤマトのこと、俺、好きで…やっと付き合えて…大事にするから…だから、許してよ」

なにを許せというのか。なに1つ間違ったことはしていないと裕子は太一を叱る。
そして、ヤマトの隣に太一がずっといることを誓わせる。
ヤマトを傷つけない、けして目をそらさない。それが愛を知った男のすることだと。
太一は裕子の一言一言に強く頷き、そして「ありがとう」と告げる。

「ほら、早くいきましょ。ヤマトくんのケーキ食べたいわあ」

そういうと、「ヤマトの料理はさいこーだからな」と惚気る太一はやっといつもの調子にもどったみたいだった。










リビングに戻ると甘いかおりが漂ってきた。
ヒカリにエプロンを借りて台所にたつヤマトの姿はまるで新妻みたいだと裕子は苦笑いする。
これだけエプロンの似合う男子中学生も珍しい。
その横にじゃれつくようにケーキを切り分けているヒカリが娘のようだった。

「裕子さん、どうぞ」

ヤマトは裕子にオレンジペコーの紅茶をだして、その横に先ほどヒカリが切り分けていたケーキを添える。
この家にある紅茶ではないのでわざわざ家にくるまえに買ってきてくれていたのだろう。
そうゆう気遣いが裕子は大好きだった。
自分の事を「裕子さん」と呼ぶ意味がなぜかわからなかった。
一年ほど前、なぜかと問うと太一がヤマトの母親の事を「奈津子さん」と呼んでいたからだといった。
礼儀正しい彼だったし、「おばさん」と呼ばれることがあまり好きではない裕子はそれを喜んで受け入れたが、
その背景にはおそらく二人が恋仲であったのもあったのだろう。
そりゃ、相手の母親を「おばさん」なんて呼べないわよねと思い出し笑いをした裕子は、ヤマトの作ったケーキを口にする。
甘すぎず、すっきりとした味わいは食後の胃にも舌にも優しかった。

「おいしいわぁ、さすがヤマトくん」

素直に褒めると彼は喜んで頬を染める。すごく可愛いと裕子は思った。
ねえ、石田さん。あなたはヤマトくんを良く育てたわ。
あなたが頑張っているのをみていたから、あなたの真っ直ぐなのをみていたからヤマトくんはこうやって真っ直ぐに育ったのよ。
ほんとうに、石田さんとヤマトくんはよく似ているわ。
だって、自分については過小評価しすぎなんですもの。

「ねぇヤマトくん、太一のお嫁さんにきてよ」
「かかかか母さん!?」

慌ててる息子とぼーぜんとしているヤマトをみて裕子はこどものように笑った。
だってヤマトくんならいい子だし太一にもったいないくらいなんだけど、私が手放したくなくてなどと言ってみる。

「ヒカリちゃんの婿にならきてもいいですよ」

というヤマトの言葉に途端に曇る太一の顔。
自分の息子ながらわかりやすくて面白いと裕子は笑う。

「ま、ヒカリちゃんには俺よりタケルの方がお似合いでしょうが」
「ヒカリはタケルなんかにわたさねー」

ヤマトが笑って言うと、太一がシスコンぶりを発揮する。

「タケルのどこが不満だ」

負けず劣らずブラコンになるヤマト。
そしてそれをみて裕子たちは笑う。
笑っている裕子にヒカリがひっそりとくちをはさむ。

「ねえお母さん、さっきの言葉本気でしょ」



「さあねえ」

にっこり笑うと裕子は時ではないその言葉を胸の奥に隠した。


2007/07/09


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