■号泣する準備はできている


それはほんの数秒の出来事であった。

「あぶねえな!気をつけろ餓鬼がっ」

間違った方向に強がった大型トラックの運転手は道端に転がって追突をさけた彼らに向かって暴言を吐いた。
口では乱暴にいいながらも、事故をおこさなくてよかったと胸をなでおろす運転手になんてちっちぇえ男なんだと大輔は頭の片隅で思いながらも目の前のその人に釘付けになる。
ガソリンの独特なにおいと大きなエンジン音を置き去りに、トラックが去った後の煙の向こう側にひとつきらめくその姿に胸がおおきく鼓動を打つ。

「ヤマトさん…」
「大丈夫か?大輔」

青の瞳で心配そうにみつめられ、金の髪からふわりと、いい薫りが大輔の鼻腔をくすぐる。
くらりとその薫りに酔わされながらも頷きだけは必死にかえすが、その目の端に赤い筋をみつけて大きく眼を見開く。

「ヤマトさんっ頬切ってるじゃないですかっ」
「あ、まあこれくらい大丈夫だよ」
「よくないっすよ!俺、手当てしますっ」

陶器のようになめらかで綺麗な白い肌に傷をつけてしまったことに純粋にショックを受けた大輔は
自分よりも3つ年上のその人の手を無理矢理ひいて自分達の住む団地へとかけていく。
いつもはボストンバックの中にいるチビモンの事もきちんと考えて歩いているのだが
このときばかりは完璧失念していて、自分の家より階数が下のヤマトの家についた時にはチビモンは目を回してしまっていた。

「こりゃ、俺の手当てよりチビモンを先にどうにかしてやらなきゃな」

結構なスピードでここまで走ったため、目を回すだけでなく酔ってしまったチビモンは嘔吐感を訴える。
おろおろとする大輔にヤマトはリビングの椅子を指さして、座ってろと言い放つ。
その有無を言わせないきつい口調にしゅんとなった大輔はせめて邪魔にならないようにとヤマトが指し示した椅子に申し訳なさそうに腰を下ろした。

「ヤマト〜きもちわるい〜…」
「ちょっと待ってろよ、お前も苦労すんなー」

制服の緑色をしたブレザーをばさりと大輔に無言で投げると、白いシャツを肘のあたりまでまくってヤマトはどこかへと足早に去っていく。
ものの数分ほどした後、慣れた手つきで風呂から湯を大きめの洗面器いっぱいにもってきたヤマトはチビモンをそっとその湯の中に入れる。
まるでその手つきは赤子に湯浴みをさせるかのように優しくて力強かった。
うにー、と湯かげんに満足したような声をだすチビモンの額に台所から取ってきた冷水をふくんだタオルを当てる。

「どうだ?少しは気分ましだろ」
「うん〜、ひんやりしててきもちい〜」

身体全体を温めながらも額に冷水を含んだタオルを当てるだけでチビモンの嘔吐感はどんどん楽になっていく。
大輔はその手つきにもうただ口をあけて感嘆の声をあげ、先ほど任されたヤマトのブレザーを握るしかなかった。

「ほら、あとは少し寝てろ」

甘いものを主食としているチビモンに無理矢理すっぱい梅干を一粒舐めさせた後、ヤマトは自分の部屋から取ってきた枕にチビモンを寝かせる。
寝やすいようにと子供をあやすかのようにぽんぽんと、布団の上から手で叩くヤマトのその手に安心しきったチビモンはすぐに穏やかな寝息を立て始めた。
それをみてふう、と息をついたヤマトは大輔の隣の椅子を乱暴に引いてその上に腰掛ける。

「すいません…ヤマトさん」
「まあ慣れっこだしな、気にすんな」

何故、という無神経な質問をしそうになって大輔は慌てて口を両手で押さえる。
おそらく、仕事仕事と忙しい両親にかわってタケルの幼い頃の面倒をみていたのはこの人だったのだろうとつい最近になって知った違う苗字の理由を思い出す。
嘘をつくコトが苦手な大輔のその不自然さにヤマトは満面の笑みで声をたてて笑う。
その綺麗な笑いに大輔の心臓はまたそのポンプの速度を早くする。
自分の中に血が流れている事が手に取るようにわかるくらい、早い。

「気にすんなっつてんじゃん、お前まじ太一そっくり」

その美しい人からでた名前に今までヒートアップしていたポンプが刹那動くのをやめた。





八神太一は大輔にとって大切な憧れの先輩で、今額につけているゴーグルだって、勇気の紋章だってその憧れの人からもらえたもので大切にしている。
それでも、昔のように一途に太一を慕うことができない理由は大輔が一番よく知っている。
サッカーの腕前でも、人間としての特質でも一目おいている先輩だったから気付いてしまったことがあった。
一見正反対で共通項などないに等しいこの目の前の――石田ヤマトと八神太一は表向きは親友同士であった。
いや、今でも親友でもあるのだろう。
しかし、それ以上に深いところで繋がっていた彼らはいつしかそれよりも先の関係を望んだ。
性別の壁を越える「勇気」と真剣に相手を受け止める「友情」が重なり合わさった結果は、
ふたりのデジモンがジョグレスして産まれたオメガモンのように凛々しく、綺麗で、完璧なる恋人関係だった。
大輔がどんなにもがいたところで揺るがないふたりの関係に軽く眩暈を感じつつも、それ以上に大輔の心の奥深くで目の前の綺麗な人を求める声が高まる。

「えぇ、オレ太一さんそっくりでしょ」
「あぁ、その無遠慮なとことかな」

クスクスと笑うヤマトに大輔は似合わない暗い笑みを浮かべると席を立つ。
笑うのをやめたヤマトを見下ろして、タケルのようには上手くはいかないけどと大輔らしく心で弱音を吐いて。
もうかさぶたになりつつあるヤマトの頬の傷を舐め上げる。

「だいすけ…」

澄んだ青を大きくひらいて、宝石のようなその青に大輔は捕らわれないよう必死に笑みを作る。

「だから、あなたに惹かれるんです」

半分開いた薄桃色の唇は憧れのあの人のものだから―大輔は細い傷の上に精一杯の愛情を含んだキスを落とす。
こんな事がタケルにばれたら殺されるんだろうなとおもいながらもその官能的なヤマトの血液の味に興奮を覚える。





「お邪魔しました」

放心状態のヤマトに向かってぺこりと後輩らしく頭を下げると、寝起きのチビモンをつれてその家を飛び出した。
ばたんとドアを閉めた瞬間、自分が今なにをしたのかを思い出してかあと頬を赤く染める。

「やべー…」

タケルとか太一さんにはぜってぇいえないな。と口の軽い自分にチャックをかけるように呟くと隣ではねるチビモンに笑いかける。

「だいすけ〜、どうしたのさ〜」
「んー?やっぱオレ、太一さんと似てるなって思ってさ」

憧れのあの人に似るのは、ずっと太一を目指していたから嬉しくて、そして、太一の隣に立つヤマトに惹かれた事を誇りに思った。
そのふっきたかのような笑顔にチビモンは少し首をかしげて大輔に問う。

「大輔は大輔じゃない。太一じゃないよ」

無邪気なその言葉に暗い笑みを浮かべると、大輔はそれにはなにも応えずに上へと続くエレベーターのボタンを押した。
あの甘い味を堪能できたのは刹那的な事であり、自分は太一と似ていても太一ではないのだから。
だからヤマトが自分に振り向くことはない。あの人の隣にたつことはない。
それは重々承知だ。
それでも、ここで諦めるすべなんか思いつかなかった。

「負けるってわかってんのになー」

分かっていても追い求めさせるヤマトに恐怖に似た崇拝と甘い恋心を贈り、大輔はエレベーターへと姿を消す。
その背中はきたるべき夏を背負って、一回り大人にみえた。


2007/12/13


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