■茜の空がいきつく果ては(8)


昼休みは屋上でふたり、弁当を食べる。
互いの部活が終わった後で校門で待ち合わせをして帰る。
週末は予定が合えば、ふたり手を繋いで街を歩く。
そして、別れ際にはきまって口づけを交わしてそれぞれの家へと帰る。
ヤマトはその近さの異常に最初は戸惑いもしていたが、空の存在はけして邪魔なものではなく、
女のなかでは一番に信頼もしていて一番自分の事をわかってくれていたから、その隣にいる人に微笑みを向ける事に抵抗をなくしていった。
そして、その微笑みにきまって空は微笑み返す。
太一と居た時のような感情はまったくなかったけれども、それでもその胸は温かな気持ちで満たされていた。
時々届く脅迫も、空が取り上げてびりびりに引き裂いて気にするコトはないと笑ってくれた。
脅迫が届くたびに太一が自分の本当の恋人だと心に刻まれていたが、いつしか、それも届くことはなくなった。
それが空の「おかげ」になったのか、空の「せい」になったのか
いつしかヤマトの隣には空、という式が小学校にまで伝わるくらいになっていた。
ヤマトと空がまるで本物の恋人のように寄り添うようになり3ヵ月、
そして、太一と言葉を交わすことがなくなってから同じ時間が流れていた。










11月も半分過ぎれば寒さが襲う。
その日、空の付き合いで渋谷まで出ていたヤマトだったが、あまりの寒さに身を寄せ合ってお台場への帰路へとついていた。
ヤマトの腕に自分のそれを絡ませて、隣を歩く空はいつもヤマトの家の前まで送ってくれていた。
それは夏の事件があったから自分を守る意味の行動なのだろうとヤマトはふと思い、今までの感謝と寒い風からの避難を思い、その言葉をくちにした。

「家、寄ってかない?紅茶くらい出すぜ」

その言葉に一瞬目を剥いた空だったが、にこりといつもの微笑みをヤマトに向けるとヤマトに先立ち目の前のエントランスへと入っていった。

「お邪魔しまーす」

明るく空が言い放った先には茜に染まったからっぽの部屋。
ヤマトはなれた手つきでヤカンをコンロへとかけると、空にクッションを差し出した。
しゅんしゅんとお湯が沸くのをつげるヤカンの音だけが寂しく響き、空は茜に染まるヤマトの横顔をみた。
この寂しい部屋にいつも、この美しい人は帰るのだと思うとなんだか笑いが込み上げてきて、口元に弧を描いた。

「空、ダージリンとアッサムどっちが…」
「私、ヤマトがいい」

紅茶の種類を問う金の上に、橙は暗い笑みを浮かべてゆっくりと体をつたわせた。
中学になってから人並みには発達した柔らかい胸を押し当てて、彼ほどではないが女の子特有の白い足を彼のに絡ませる。

「そ…ら…」

驚いたかのように青が見開かれ橙をみつめたが、その瞳にうつった感情はわからなかった。
いつも帰りに交わしていた口付けを落とされ、首筋をなぞられる。
びくりと性的な興奮と嫌悪感が混じった感情がヤマトの背筋を伝う。
3ヵ月前まで自分の上にあったものとは明らかに違う、空の柔らかい女の体を押し戻そうとする。
それでも、仲間であり、自分から危険な位置を受け入れてくれた空にそんな事はできなかった。
愛からではなく、友情で青が橙に吸い込まれようとした時


その扉はひらかれた。






「空さん…やっぱり貴女が犯人だったんだね」


リビングの始まりを示す扉に彼はたって、空を持てる憎しみ全てを抱かせた青でみつめた。
ヤマトを襲っていた白い指を緩めた空は、いるはずのない彼を最初は驚きの、そして次第に怒りの色を橙へとうつした。
彼の後ろからいつも見知ったお台場中の制服をきながらも、背丈はさほど変わりない彼がその場に、あくまでも冷静に視線を落としてはぁとひとつ溜息をついた。
その後ろからばたばたと落ち着きなく廊下を走ってきて息を切らした彼は、目の前の光景をみてひゅっと息をのみ、眉を下げて泣いた。
それに続くように最初の彼と同い年の彼女が入ってきて、その目を歪ませる。
最後に、彼ら全てをおしのけて、その目にはなにひとつ感情をうつさず、空の目の前まで歩いていった彼は、声を静かに低く地を這わせた。

「そこをどけ、空」

その声に素直にヤマトから退いた空は、彼――太一に真正面から向かい、そして部屋にぱしんと心地よいひとつの音を響かせた。
打たれた頬を押さえ、茶に憤りを先ほどよりも強くうつした太一だったが、それは長くは続かない。
橙から一筋落ちた涙に、タケルも光子郎も丈もヒカリも、太一も次に返す言葉がみつからなかった。
ふわりと、空から最初の頃に覚えのある甘い薫りがした。
そしてそれは一連の事は空によって起こされていたことを確定させる。

「あと少しだったのに…」

震える喉で搾り出された声に一番に反応したのは、今までただただ青を丸くさせていたヤマトだった。

「そら…どうした…」

状況をわかっていないわけではないのに彼の口から出た優しい言葉に空はますます橙を歪ませた。
そして、目の前にたつ太一を怒り以上に悔しさを込めた視線で貫く。

「これがヤマトのためになるのよっ」





空がヤマトへひそかなる想いを寄せたのは、永遠に色あせることなく語り継がれるであろう、ヤマトがゲストで出た中学一年の生徒総会であった。
その壇上で全校生徒相手に太一のために体をはったヤマトに無意識のうちに手をのばしていたのに気付いた。
自分だけ置いてふたりで駆け出してしまった太一とヤマトに寂しさを感じながらも、割り切ろうとしていた空に降って沸いたかのような出来事。
けしてその外見でいい思いをしていなかったヤマトが、太一のためにそれを使った。
ヤマトの感情の矢印が太一へと向いていることを初めて知らされた。
その刹那、空の小さな胸に大きな闇が巣食い、太一へと黒い牙をむき出しにした。
ヤマトに、全てをなげうってまで矢印を向けられた太一が羨ましくて仕方がなかったのだ。
クールぶっているくせに誰よりも寂しがりで優しいヤマトを、ずっと自分の腕のなかで守っていてあげたかった。
空の想いを知られることはなく、太一とヤマトはお互いが発した矢印へと気付き、恋を語るパートナーと形を変えていった。
空はヤマトの一番弱いところを狙って脅迫状をおくり、いつも太一が植木鉢の下から出す合鍵を使って盗聴器をしかけてヤマトの精神的不安を誘った。
そして、その不安を取り除く相手として太一ではなく自分を側においた。
いつの日か、「仮」から脱出して「本物」になる日がくるのを茜の向うにみて。





「太一なんかと付き合ってたらヤマト、大変じゃないっ」
「太一は直ぐ人を振り回すし、自分勝手で無神経だしっ」
「私の方がヤマトを守ってあげられるわ」

喉を使ってだされたそれは部屋に響き、次に6人の心へと響いた。
いつもの冷静な彼女はどこへ消えたのか、泣きじゃくり、太一に手をあげる空を丈とタケルが押さえた。
好き勝手させていた太一はそれを見て、息も荒く膝をつく空に静かに言葉を吐いた。


「ヤマトの隣は俺しかないんだよ」
「悪いな…諦めてくれ」


まるで聞き分けのない子供をあやすかのようにむけられた言葉に空は橙に驚きをうつし、そして静かに涙をながす。

「太一はいつも私の欲しいものをくれたじゃない…」

デジタルワールドでナノモンに捉えられていた時に駆けつけてきてくれた事。
サッカーチームでの絶妙なアシストパス。
誕生日の贈り物。
それらは全て、空が心から太一に望んだもの。

「それなのに、それなのに…」



「なんでヤマトはくれないのよォっ」



搾り出されたその言葉にまぎれていた紛れも無いヤマトへの愛は、ヤマトの心を打ち、雫をひとつ落とさせた。
残っていた茜の最後を飲み込んだ黒を裂くかのようなその声は闇へと吸い込まれて消えた。


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2007/10/19


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