■茜の空がいきつく果ては(5)
頬にひとすじ、涙をつたわせて意識を手放したヤマトの背を愛しそうにひとなでした空は、
男性にしては細く軽いその体を背に負い、開け放された彼の家へと足を踏み入れた。
一般的な家とは違い生活のにおいがあまりしないその部屋は侵入者である空を拒むかのように冷たかった。
しかし、空はそれを心にも留めずいつもヤマトが使っているであろうベッドに彼をほおりだすと、
小さなハンドバックからケータイを取り出し幼馴染みへとコール音を響かせた。
太一は大きなエナメルのバックを大きな音をたててほおると、冷蔵庫を開けてペットボトルの清涼飲料水を音を立てて喉へと通す。
裕子が「行儀が悪い」とたしなめるもこれも日常の風景で太一が直さないのはわかっていた。
夕飯のにおいがたちこめるリビングのソファに足を投げ出すと、太一はひとつ息をはいた。
「ヤマト、何してるかな…」
学校で接することを極力さけているため、太一はいまヤマトに猛烈に会いたくなっていた。
夕飯にでも誘おうかとケータイを取り出すと、時をみたかのようにコールのバイブが響く。
サブ画面にうつった名前は幼馴染みの空で。
「どした?」
いつも通りコール3回でそれをとると、中学にあがってからめっきり女っぽくなってしまった空に変わらない問いかけをする。
軽い太一の口調と対照的に、どこかはっきりしない濁した口調で空は衝撃的なことを伝える。
『今、ヤマトの家にいるんだけど…ヤマト倒れちゃって…』
「はあ!?」
何故ヤマトの家に空がいるのか。
何故ヤマトがいきなり倒れたのか。
いくつもの疑問が太一の頭を駆け巡ったが、その答えを出すより先に足は外へとむかっていた。
裕子が後ろから夕飯はどうするかときく声も届かず、ただヤマトの事だけを思い13階分の階段を自慢の足で駆け下りた。
「ヤマト!!」
見慣れたヤマトの部屋がよくそこへと居座っている太一を温かく迎えた。
が、その部屋の中にまるで異物のようにいる空の存在に胸の奥が凍るかのような不安を太一は感じた。
口元に右の人差し指を当て、静かに、と太一に促した空はまだ意識を取り戻さずに混沌の眠りについているヤマトへと視線を移した。
青の瞳を隠すかわりに白い肌に青みをさし、金を散らして眠るヤマトになにがあったのかを太一は空へと問い詰める。
空は理由はわからないけれども酷く憔悴していて、CDを貸しにきたのにそのまま玄関で倒れてしまったといった。
太一はみなれたヤマトの部屋を見渡して新聞紙を切り抜いた宛名の白い封筒をみつけると、
またヤマトに犯人である人物がなにかを送ってきたのだと理解し、ケータイで光子郎と丈へと連絡した。
あいにく丈は塾があって今日はこれないという返事ではあったが、数分後、光子郎が愛用のパソコンを手にヤマトの家のドアを開けることになった。
「今度は一体なにが…」
空である封筒には何が入っていてヤマトは何にここまでのダメージをうけたのかわからずに憶測で言葉を交わしている太一と光子郎の間に、
いままでベッドの側でヤマトをみていた空が口を挟む。
「あのさ…なにがあったの?」
空はなにも知らなかったことを今更思い出した2人は顔を見合わせて頷くと、あらためて彼女に向かい合う。
第三者的なものとして説明しようとした光子郎を目で止めた太一は橙の茶の瞳をみつめる。
その真剣な茶の瞳に空は喉をひとつ鳴らした。
「空、俺とヤマトの関係は知ってるよな」
「なによ今更。気付いてたわよ」
穏やかな笑みで太一を笑うと空は「それがどおしたの?」と先をせかす。
太一はすうと大きく息を肺へと送り込むと説明を再開させた。
「数日前にヤマトに脅迫めいたものが送られてきててさ」
「それってヤマトのファンの子じゃないの?」
ヤマトには盲目的なファンも多いから、とそこまで重く考えてない空に太一は神妙な顔をして首を左右にふって否定をした。
太一は光子郎に目をむけて合図をおくると、パソコンのフォルダから先日おくられてきた写真の画像を空へとむけさせる。
粘着質な粘りと黒く歪んだ思いをその画像から感じ取ると空は太一へと再度目をむけた。
「これって、やばいんじゃ…」
「ああ、だから学校では全然会ってないのにさ…」
こうやって再度封筒が送られてきたから…と太一は言葉を濁した。
正直ここまでくるとどうしていいかなんて太一にも光子郎にも考え付かなかった。
犯人像がまったく浮かんでこなかったから、どうにも対策がたてられないのだ。
「た…いち…」
「ヤマト!!」
無言の重い空気が3人を取り巻いていたところにヤマトが深い海の底より目を覚ました。
その深海の青を瞳に持って陸へとあらわれたヤマトに太一は慌ててかけよると強く抱きしめた。
いつも隣にあった太一のぬくもりに幾分安心したヤマトだったが、さきほどきいた自分たちの声が耳にこびりついてはなれなかった。
弱々しく太一から体を離すとヤマトは布団を抱きしめ、首を左右へとふった。
「どうした?」
「駄目だ…みられてる…きかれている」
「どういう事だよ…」
震えているヤマトはその細い指でごみ箱のほうを指し示す。
太一がそれをみると、透明のディスクが放り投げられていた。
紙くずしかないその箱に太一は躊躇なく手をつっこみそれを取り出すと、ヤマトが差し出したプレイヤーにディスクを差込みイヤホンを耳につけた。
「ヤ…マト…」
流れ出してきた自分たちの情事の音に太一の顔からも血の気がひいていく。
青に溜まった涙を零さないようにヤマトは太一をみて頷いた。
「光子郎…この部屋に盗聴器あるみてぇ。探してくれ」
「…了解です」
一瞬驚きを顔にだしたがそれも予想のうちだというように冷静をとりもどした光子郎は慣れ親しんだパソコンのキーを強く打った。
幸いその小さな黒い機器は直ぐにみつかった。
しかし、みんなの心に沈殿した黒いものは取り除くことはできなかった。
「どうすればいいんだよ…」
全てを断ち切れるほど強くなく、それでも尚側にいたいと惹かれてしまう気持ちに収集はつかず。
太一は悔しさから唇を噛み締める。
「ねえ、」
今までずっと黙っていた空が声をあげた。
母のような穏やかな笑みを3人にむけた空はその刹那、思いもよらないような言葉を吐いた。
「私とヤマトが付き合うのはどう?」
空の橙にうつった気持ちはわからない。
笑みの向こう側の感情など誰も知らない。
「フリだけでさ、それなら太一とも別れたって思うでしょ?」
なるほど、と効率のいいその手段に納得の頷きはしたが気持ちはついていかない。
それでも太一は心に沈む黒い塊を無視するかのように了解の頷きをおくった。
「そうだな…、ほとぼりが冷めるまではそうしておくか。空、ごめんな」
「ヤマトと太一のためだしね。ヤマト、よろしくね」
さしだされた空の手を無意識のうちにとったヤマトは、その青に空をうつす。
変わらない微笑みをむけた空に安心したヤマトは心から礼をした。
それでも、ヤマトの心からは罪悪感が消えなくて胸が苦しくなる。
空は太一の事が好きだとヤマトは知っていた。
幼いころからずっと好きだったのを知っていたのにそれを横から掻っ攫うような真似をしてしまっていたから。
それでも、変わらず接してくれていて、さらには今回のような迷惑事に巻き込んでしまって、自分と付き合うようなフリをさせてしまって。
その全ての感情を含めてヤマトは深く、深く頭を下げた。
「ヤマト…ほとぼりが冷めるまでだからな」
「ああ…太一」
光子郎たちが本当の犯人をみつけるまでの辛抱だ。
ほとぼりが冷めるまでだと互いに惹かれる想いにも、一度幕をひいた。
茜の最後の一欠けが4人の背中に突き刺さる。
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2007/10/01