■茜の空がいきつく果ては(4)


夏休みも終わり、乾いたゴム底が廊下を蹴る音が学校中に響く。
うだるような暑さに少しバテ気味のヤマトはひんやりとした机に頬を寄せる。
大抵こういう時は太一が側にきて騒ぎ立てているのため、暑さよりもそちらに意識が向くのだが、
太一が自分のところにくることがないという事実がヤマトの胸に鋭く刺さる。
日の光を浴びて透けた自分の金の髪が揺れた。
途端、頭上からぱこんとなにかにはたかれた音がした。
気だるげに視線をそちらに向けると、癖っ毛の橙に近い茶の髪をした空が立っていた。

「新学期早々なにうだってんのよ、ヤマト」

クラス委員長をつとめ、テニス部のエースでもある空はいつもと変わらぬ明るさでヤマトに笑みを向けた。
なにかと目立つヤマトと太一と仲がいいことで周りの女子から反感をかっていた時期もあったが、
彼女の性格の良さと気さくさから直ぐにそのやっかみはなくなっていった。
愛情の紋章の持ち主である空は、いつもヤマトと一緒にいる筈の太一がいないのを瞬時に不思議に思い、ヤマトに声をかけたのだ。

「どうしたの?太一と喧嘩でもした?」
「大方そんな所だな」
「ほんと、よく飽きないわねぇ…」
「ほっとけ」

空はヤマトの前の席に腰掛けると、さきほどヤマトを叩いた日誌を開き、几帳面な字を書き込んでいく。
ヤマトはその手元を心ここにあらずといった形で眺めながら、ふと思ったことを言葉にして、空へと発信した。

「空は、好きな人はいるのか?」

恋愛話などしたことがないヤマトのその問いに、空は太一よりも色素の薄い茶の瞳をめいっぱい開き、ヤマトをみつめる。
その視線をうけ、自分がなにを言ったのか頭で理解してしまったヤマトは朱に染まり、慌てた口調でさきほどの発言を繕おうとした。
久し振りに見るヤマトのその表情にふと笑みを漏らすと、空は日誌をとじてヤマトの青を覗き込む。

「私はみんなの事が好き」

だって私の紋章は愛情よ。
そういうと、青い空をみあげて遠くの世界にいる自分のパートナーを思い出す。
そして、視線を目の前の青に向けなおすと、空は優しい母の笑みを浮かべてヤマトの金を撫ぜた。

「だからね、ヤマト。いつでも頼ってね」

太一とヤマトの間に大きな事件があったことは空からみたら明白だった。
無遠慮に首を突っ込めるほど思慮に欠けているわけでもなく、それでも心配で仕方がなくて、ヤマトに声をかけたのだ。
自分の近くに、自分たちを大切に思っていくれている人がいることに落ち着いたのか、ヤマトは優しい笑みを空にむけると、礼をのべた。

「あ、ヤマトが聴きたいっていってたCD貸すわ」
「ああ、ありがとう」

友達に名を呼ばれ、空は短いスカートを翻してヤマトに背を向けた。
その後ろ姿を見送り、ひとつ溜息をついた刹那、ヤマトのケータイがバイブをならした。
必要最低限しか使わないその電子機器をひらき、差出人を確認すると無意識に笑みがこぼれる。
暇、と簡潔に、でも寂しげに書かれているその文にそりゃそうだ、と心のなかで画面に向けて呟く。
別のクラスだというのに、太一は暇さえあればヤマトのところに入り浸っていたのだから。
無意識のうちにこぼれた笑みで返信を打つその姿は残暑の中、クラスに癒しと興奮をもたらしていた。










どの学校でも恒例である学校長の長い挨拶や、形だけのHRも終えていつもならば太一と帰るはずだが、件の事があるためヤマトは部活へと顔を出した後、ひとり帰路へとつく。
学園祭にむけては、あと2ヶ月しかなく組んでいるバンドでは新曲を披露したいため、曲も作り上げなくてはいけない。
ヤマトは少しだけ作っていたメロディラインを小さく口ずさみながら空をみる。
9月といっても秋の部類にはいるその空は早々と茜に染められていて、ヤマトの胸に一抹の不安と切なさを呼び起こした。
父親に連れられてお台場へとやってきた8年前と同じエントランスに今日も足を踏み入れ、
丁度1階に降りていたエレベーターをつかってひとつ上の階へと上る。
慣れ親しんだ廊下を進んだ先に見えた白いものに、ヤマトは体中の血が足元へと降りていく感じを体験した。
太一とは学校でけして会っていなかったはずだ、言葉も交わしていないはずだ。
ヤマトはいつもよりもテンポ早く血をめぐらすそのポンプを宥めるかのようにすうと息を吸い、震える足で一歩、一歩、その白へと歩き出す。
実際には数メートルもないその距離は果てしなく長く、近づく事に大きくヤマトの胸に圧迫感を追わせた。
何の変哲もないワープロの文字で「石田」と書かれている紛れもない自分の家のその扉には、見間違いでもなんでもなく、この前と同じように白がねじりこまれていた。
以前よりも小さなその封筒には以前と同じように新聞の文字で丁寧に「石田ヤマト様」と書かれていて、以前よりもずっと、軽かった。
いつも持っている鍵でその扉を開け、見慣れた部屋へと入ると震える手でその包みを開ける。
中からでてきたのはラベルもなにも貼っていない、透明のMD。
ヤマトは今年の初めに買ったMDプレイヤーを着ているブレザーから取り出し、そのディスクをセットし、イヤホンを耳へとあてた。

「…っ!!!」

そこでデッキにディスクをセットしなかったのが、神の最後の情けだったとしか思えなかった。
使い慣れているイヤホンから流れてきたのは
間違いなく、先日の太一との情事の一部始終で。
差恥と屈辱に真っ赤に染まったヤマトは停止ボタンを押してディスクをゴミ箱へとほおると、鍵をかけていなかった扉を勢いよく外へと開け放した。





「ヤマト!?」

嫌な汗をかき、白すぎるその肌を更に白くさせたヤマトが見た最初の景色は
橙に近い茶が背負った茜の空。

「そ…ら?」

際で搾り出した声をきき、我に返った空は持っていた鞄をほおりだして今にも倒れそうなヤマトを支えた。
信頼できる人の体温に安心したのか、その体はみるみるうちに崩れていった。
それでも、嫌な汗が噴き出してくるのは止められないようで、空は先ほどほおりだした鞄からハンカチを出してそれを額にあててふき取る。
おそらく一度家に帰って着がえてきたのだろう。
もう三年前の冒険のころのようにジーンズを履いて走りまわる子供の姿ではなく、膝上のスカートに可愛いロゴの入ったTシャツを着た空を通して、変わり行く切なさをヤマトは知った。
それでも、あの頃持っていた特質をそのまま形にしたかのようなその姿に安堵した。

「そら…なんで、ここに?」
「CD貸す約束してたでしょ?お稽古、今日なかったから…大丈夫?」

空の声にふ、と緊張の糸がきれた。
ヤマトはその青に大量の雫を溜めると無意識に空へとすがりつく。
青から零れ落ちたそれは、空の肩を濡らしていく。

「我慢したのに…」
「すっげぇ寂しい思いしたのに…」
「辛くて仕方ないのに…」

空は恐る恐る、それでも強くヤマトの金へと手を伸ばし、その糸を絡め、背中へと手をまわす。
まるで子供をあやす母のような笑みを浮かべ、なにも言わず、ヤマトの背中を何度も優しく叩いた。


「まだ足りねえのかよ…っ」



小さく呟かれたそれは茜を裂くかのように、空の心を刺した。


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2007/09/20


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