■ABC(2)


迷いなく蹴り上げたボールが弧を描いてゴールに入った。
ホイッスルが鳴り、その一点で勝敗が決まったことを告げる。
太一は小さく拳を握り、にかっと歯を出してチームメイトに笑いかける。
その笑いをうけ、今まで一緒に組んでいたメンバーが太一のもとへとおしかける。

「今日絶好調じゃん」
「さすが八神、ボール蹴るのに迷いねーもんな」

練習試合であった今日の相手に勝てたのはメンバーにとっても太一にとっても幸せな事。
しかし、チームメイトがいう的外れな事に太一はいい加減うんざりしていた。
太一は笑って彼らには誤魔化しながらも、彼の中に渦巻く灰色のものは解けない。
むしろ、こうやって笑っている今も増え続けるばかりだ。
今日の最後のゴールだって、勝てるとかいけると思って迷い無く蹴ったのではない。
自分がいまかかえているものをほおりだす気持ちで蹴ってみたら入ってしまったのだ。
そして、それが周りから不当な評価を得ているから倍になって返ってきてしまった。

「八神ぃ、今日打ち上げいくだろ?」

さっきから肩に手をかけてるチームメイトの一人が『当然』という顔をして太一を誘う。
しかし、太一の中にあるものはもう破裂寸前だ。
太一はそれをやんわりと断って、泥だらけになったユニフォームをエナメルバックに仕舞い、グラウンドを後にしようとした。
その刹那、松葉杖をついた者が太一の前に立つ。

「おつかれ、これから石田とデート?」

生徒会仕様のクールで後ろに権力を掲げた顔をした羽賀の言葉に肩を震わせた。
羽賀は推察が当たったことを理解し、笑みを浮かべて太一に一歩近づく。
そして、太一の耳もとでオクターブ低い声で囁く。

「もうヤった?」

刹那、太一の表情が強張る。それを気付いてか羽賀は言葉を紡ぎ続ける。

「石田の中、気持ちよかった?」
「凄いエロい声で喘いだでしょ」

灰色のものはどす黒く変色し始め、太一を蝕む。
羽賀の口元が綺麗な弧を描いて、太一を暗闇の中に落としていく。

真っ暗な中に金の糸が揺れる。
青い宝石に涙が溜まる。
そして、白い背中が快楽から弧を描く。

「ヤマト…っ」

太一は羽賀を突き飛ばし、エナメルバックを持って暗闇を振り払うかのように駆け出した。
いつからだったか。夜毎にヤマトの白い肌がちらつき、それをおかずに抜くようになったのは。
最初の頃はそれがヤマトだと気付かなかった。
しかし、想いを自覚しヤマトと恋仲になれてから、それがヤマトだと気付いてしまった。
性に興味を持ち始めた小学生の頃から自分はヤマトに欲望を抱いていたのだと。
いつも自分で欲を吐き出してから罪悪感に浸る。
しかし、翌朝ヤマトをみつけると罪悪感なんかよりも抱きたくて仕方のない衝動にかられる。
ヤマトの動き全てが太一を煽る。太一の限界は羽賀の直接的な言葉によって頂点へと達した。










「遅いな、太一」

『今日試合終わったらお前ん家いくから』
太一の言葉に悪態をつきながらも心の中で喜んでいたヤマトは小さく溜息を吐いた。
クールだと見られがちだが、人と接するのを誰よりも求め、誰よりも怖がるヤマトにとって、太一は無二の存在なのだ。
それは『親友』としても『恋人』としても変わらずヤマトの心の大半を占めていた。
それをよく理解している太一だから、ヤマトに寂しい思いをさせることを好かなかった。
父親の裕明が留守とわかれば無理矢理にでも、ヤマトの家に泊まっていた太一だから今では専用の茶碗や着替えもヤマトの家には揃っていた。
その存在はヤマトの心に安息をもたらし、切なさと愛しさをヤマトに教えた。

「ったく、折角作ったのが冷めちまう」

わざわざ作った太一の好きな煮物と汁物の鍋を見下ろしてヤマトが何度目かの溜息を吐こうとした時、玄関でチャイムの鳴る音が聴こえた。
慌ててヤマトは溜息を呑みこみ、音のするほうへと足をむける。
待ちわびていたのをさとられないように深呼吸を1つするとゆっくりドアを開けた。

「太一…?」

不機嫌を装って開けた先には、本当に不機嫌だと思われる太一の顔があった。
眉間に皺がより、茶色の目には貫くかのような光を宿している。
痛いくらいに握られた拳が決意の固さを示しているかのようだった。
驚きのあまり演技を解いたヤマトは無言の太一を部屋に招くとドアを閉める。
と、同時にヤマトの目の前の景色がゆれる。
ドンと大きな音がして茶色がいっぱいに広がり、唇に柔らかいものが触れる。
青い瞳をいっぱいに開き、今の状況がなにかを理解しようとするがその間に口内に暖かいざらついた感触が這いずり回る。
この感触は覚えがある。しかし、こんな恐怖なんか伴わない。
いつもならば込み上げてくるくらいの愛しさがあるというのに今、自分のなかにあるのは恐怖という感情だけで。

「太一っ、一体どうしたんだよっ」

突然のディープキスを仕掛けてきたことに対して責めるわけではないが、理由を聞きたくて必死になって引き離す。
しかし、どうしても日々の運動力が違うためからか、ヤマトが太一に力でかなうはずがない。
動いてもびくともしない、無表情な太一にヤマトは恐怖が隠せなかった。

「なんなんだよ、太一、どうしちゃったんだよっ」

知らず知らずの内に暖かいものが目から伝うのを感じた。
今まで信じていたものが壊れてしまったのだろうか。太一は自分の事を嫌ってしまったのだろうか。
押しとどめていた寂しさと恐怖が交じり合ったかのような感情をヤマトはどうにかして太一に伝えようと、嗚咽の混じる声で太一を呼び続ける。
どれくらいの時間がたったのだろうか。太一が低い声でヤマトを呼んだ。
金の髪を靡かせて見上げた太一の顔は―――。

「おれ、ダメなんだよ…」

低く、小さく呟く声を1つとして聞き逃さぬようヤマトは太一から目をそらさない。
その青をみてか太一の茶色の瞳から雫が落ちる。


「ヤマトみてるとおかしくなる」
「キスしててももっとしたくて」
「もっとヤマトに触れたくてしょうがない」


ヤマトを掴む太一の手に力がはいる。そして同時にその手が震えていることをヤマトは気付いた。
不思議と今まで感じていた感情はなく、太一を愛しいとおもう気持ちがこぼれてくる。
ヤマトは言葉を挟むことなく、太一がつむぐとめどない言葉を全て受け止める。


「お前の事考えるだけでおかしくなる」
「大切にしたいのに壊したくなる」
「お前の事、むちゃくちゃにしてしまいたくなる」



「なあ、いいか?」
「お前の事、壊していいか?」



まるで親に叱られるのを恐れる子供のように
太一はヤマトへと問う。



「ばあか」

ヤマトは腕を太一の首へと回し、軽いキスを1つ落とす。
不安な顔をする太一に微笑むと太一の手を自分の腰へと回す。


「壊してくれ」
「太一の手で俺を壊してくれよ」





刹那、金と茶が交じり合った。


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2007/08/08


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